帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第二 夏 (八十一)(八十二)

2015-03-05 00:11:03 | 古典

        

 

                     帯とけの拾遺抄


 

『拾遺抄』十巻の歌を、藤原公任『新撰髄脳』の「およそ歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」に従って紐解いている。

紀貫之・藤原公任・清少納言・藤原俊成らの、平安時代の歌論や言語観を無視して、この時代の和歌を解釈するのは無謀である。彼らの歌論によれば、和歌は清げな衣に包んで表現されてあるものを、近代人は、清げな姿を観賞し歌の心を憶測し憶見を述べて歌の解釈とする。そうして、色気のない「くだらぬ歌」にしてしまった。

貫之の言う通り、歌の様(表現様式)を知り、「言の心」を心得れば、清げな衣に包まれた、公任のいう「心におかしきところ」が顕れる。人の心根である。言い換えれば「煩悩」である。歌に詠まれたからには「即ち菩提(真実を悟る境地)」であると俊成はいう。これこそが和歌の真髄である。


 

拾遺抄 巻第二 夏 三十二首

 

(題不知)                              中務

八十一 なつのよはうらしまのこがはこなれや はか無くあけてくやしかるらむ

(題不知)                             (中務・伊勢の娘・父は中務卿敦慶親王)

(夏の夜は、浦島の太郎の玉手箱なのか、無造作に開けて・何も無く明けて、悔しいでしょう……なつの夜は、君は・うらしまの子の玉手箱なのね、もろく頼り無く果てて、悔しいでしょう・どうしてなの)

 

歌言葉の「言の心」と言の戯れ

「なつのよ…あっけなく明ける…夏の短夜…撫つの夜」「うらしまのこ…浦島の男子…伝説の浦島太郎、玉手箱を何となく開けたため時代を瞬間移動したらしい…わが裏肢間のおとこ」「子…男子…おとこ」「はこなれや…箱なのか…玉手箱なのね…端子なれや…おとこ狎れや…おとこよれよれや」「はか無く…儚く…はかばかしく無く…進展・成果無く…なんとなく…頼りなく」「あけて…開けて…明けて…果てて」「らむ…推量する意を表す…原因・理由を疑問をもって推量する意を表す」

 

歌の清げな姿は、あっけなく明ける夏の夜の残念な思い。

心におかしきところは、弱々しくも頼りなく果てる撫つの夜を悔しがるさま。

 

此の歌を受け取った可能性のある男は数人居る、公任の祖父藤原実頼、その弟の師輔、陽成院の親王、および源信明ら。

伊勢は晩年だろう、わが娘の中務に、歌はこのように詠むがいいと自らの歌を示したという。「難波なる長柄の橋もつくるなり今は我が身を何にたとへむ」。歌は「心に思うことを、見るもの聞くものにつけて言い出せるなり」と貫之は言うが、我が思いを表現する時は、先ず「何にたとへむ(何に喩えようか)」と思いなさいという教えのようである。

此の度の歌は、浦島太郎の玉手箱に喩えて、なつの夜の睦ことの早く果てる悔しさを表現したのである。

 

 

月令の御屏風にたび人きのかげにやすみたる所       読人不知

八十二 行すゑはまだとほけれど夏山の このした影は立ちうかりけり

月次の御屏風に、旅人が木陰に休んでいる所に      (よみ人しらず・拾遺集では躬恒)

(行く末はまだ遠いけれど、夏山の木の下陰は、出立し難いものだなあ……山ばの極みまで・行く末は遠いけれど、暑い山路の、この下陰は、起立するのも辛いことよ)

 

歌言葉の「言の心」と言の戯れ

「このした影…木の下の陰…木陰…おとこ」「木…言の心は男」「立ち…出発…起立」「うかり…憂くあり…憂く狩り」「かり…猟…漁り…めとり…まぐあい」「けり…気付き・詠嘆を表す」

 

歌の清げな姿は、夏山の木陰の旅人の風景画観賞。

心におかしきところは、夏は殊にはかないおとこのさが。

 

このように歌を聞けば、四の内親王の屏風絵を見て、躬恒の作と知らぬはずがないのに、公任は、よみ人知らずとしたわけが、歌の内容の所為だと理解できる。花山院は拾遺集で遠慮なく「女四の宮の家の屏風に、躬恒」とされた。このような歌を手本に深窓では女房達によって情操教育が行われるだろう。

清少納言の言うとおり、おとこの性(さが)などは、夏は殊に「下かさねは、二合い、白重ね」「かさ見は、吾お朽ち端、朽ち端」で、はかないものと、あらかじめ知るべきだろう。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。