帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第三 秋 (百十一)(百十二)

2015-03-23 00:08:23 | 古典

       

 

                   帯とけの拾遺抄


 

藤原公任の『新撰髄脳』の「およそ歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」に従って和歌を紐解いている。

近世以来の和歌の解釈は、紀貫之・藤原公任・清少納言・藤原俊成らの、平安時代の歌論や言語観を無視して、独自の解釈方法を構築した。歌を字義通りに聞き、言の戯れは、序詞、掛詞、縁語などと名付けて、和歌はそのような修辞で巧みに表現されてあるという。字義通り聞くと意味の通じない序詞などを歌の調べとしての意義があるなどという。このような解き方が定着すれば、平安時代の歌論や言語観を無視するか曲解するしかない。これは本末転倒である。逆さまにして、近世以来の学問的解釈方法を棄ててみたのである。


 

拾遺抄 巻第三 秋 四十九首

 

家の前栽にすずむしをはなち侍りて                 伊勢

百十一 いづこにも草のまくらをすずむしの ここをたびとはおもはざらなん

わが家の前栽にすず虫を放って                   伊勢

(どこにでも草の枕を・どうぞ、すず虫が、此処を旅宿とは思はないで欲しいの……いづ子でも、草のまくらを・どうぞ、勧む其の此処を、たびたびだなと思わないで欲しいの)

 

歌言葉の言の心と言の戯れ

「いづこ…何処…射づ子…出づ子…果てたおとこ」「こ…子…おとこ」「草のまくら…草枕…粗末な枕…仮寝の妻」「まく…巻く…からみつく…めとる」「ら…状態・情態を表す」「を…対象を示す…詠嘆を表す」「すずむし…鈴虫…秋に鳴く虫…鳴く虫の言の心は女…飽きが来るとなく女」「すすむ…進む…進呈する…勧む…勧誘する」「し…其…それ」「の…が…主語を示す…所属・所有を表す」「たび…旅…度…度数…度々」「ざらなん…ないで欲しい」「ざら…ず…打消しを表す」

 

歌の清げな姿は、我が家の前栽を鈴虫の終の棲家にすすめる風流。

 心におかしきところは、それのここを艶っぽく勧めるところ。


 妖艶ともいえる心におかしきところだろう。

 

 

屏風に                              貫之

百十二 秋くればはたおるむしの有るなへに からにしきにも見ゆるのべかな

      人の家の屏風に                         (紀貫之・古今集編纂より三十数年後に詠んだ屏風歌という)

(秋来れば、機織る虫が居るのに伴って、唐錦にも見える野辺だなあ……飽き繰れば、はた折るむしめが在るのに応じて、色気たっぷりに見える、のべだなあ)

 

歌言葉の言の心と言の戯れ

「秋…飽き…飽き満ちたところ」「はたおるむし…きりぎりすのことという…機織りめ…鳴く虫の言の心は女…はた又折る女…繰り返す女」「有る…居る…在る…健在である」「なへに…とともに…ともなって…応じて」「唐錦…色彩豊かな織物…秋の草花の紅葉・黄葉するさま…色気たっぷりなさま」「見ゆる…見えている…見ている」「見…覯…媾…まぐあい」「のべ…野辺…山ばではないところ…延べ…延長」「かな…感動・感嘆を表す」

 

歌の清げな姿は、屏風絵に相応しい秋の情景。

 心におかしきところは、めくるめくばかりに、くりひろげられる色ごとの飽き満ち足りたさま。

 

貫之は、土佐の国より帰京後に公にした「新撰和歌集」の序で、優れた歌のことを「花実相兼」「玄又玄」[絶艶之草]などという。優れた歌は、花も実もあり、奥深い上にさらに又奥深いところに、絶妙の艶があるということだろう。それを実感できるように歌を紐解いている。

 

 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。