帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第八 離別歌 (378)雲井にもかよふ心のをくれねば

2018-01-02 19:47:43 | 古典

            

                      帯とけの「古今和歌集」

                     ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、「言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)」を心得るべきである。藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も知るべきである。

 

古今和歌集  巻第八 離別歌

 

あひ知りて侍ける人の、東の方へまかりけるを

送るとてよめる           深養父

雲井にもかよふ心のをくれねば わかると人に見ゆ許なり

(知り合いだった女が、東の方へくだって行ったのを、見送るということで詠んだと思われる・歌……合い知った女が、吾妻の・己の、思う方へ入ったのに、我は遅れると言って詠んだらしい・歌)(清原のふかやぶ)

(雲居にも・大空までも、通い合う心が、見送らないので、別れるのだと、他人には見えるだけですよ……心雲わきたつおんなにも、通い合う心が、このたびは山ばまで・送り届けられないので、わかれると貴女に見える、我が遅れているだけだよ)。

 

「雲…大空の雲…煩わしくも心にわきたつもの…情欲など…煩悩」「井…おんな」「おくる…見送る…(絶頂まで)送り届ける」「わかる…離別する…身が離れゆく」「見ゆる…見える…思われる」「見…媾…まぐあい」「許…ばかり…だけ…限定の意を表す」「なり…断定の意を表す」。

 

いつまでもどこまでも通じ合う心、見送れないので、、他人には離別と見えるだけだよ――歌の清げな姿。

山ばの絶頂まで通じ合う心、このたびは送り届けられないので、離れ逝くのねと、貴女には見えるだけだよ――心におかしきところ。

 

男の虚脱感と,うしろめたさを、言い訳がましく詠んだ歌らしい。それらは全て清げな言葉で包まれてある。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)