帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第八 離別歌 (393)別をば山のさくらにまかせてむ

2018-01-16 20:53:54 | 古典

            

                         帯とけの「古今和歌集」

                        ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

  平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)を心得るべきである。藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も知るべきである。

 

古今和歌集  巻第八 離別歌

                 山に登りて、帰りまうできて、人々別れけるつい
          
でによめる             幽仙法師

別をば山のさくらにまかせてむ 止めむとめじは花のまにまに

 (山に登って、帰ってきて、人々別れた機会に詠んだと思われる・歌……山ばに上って、帰って来て、女と男、離れたおりにさりげなく詠んだらしい・歌)(ゆうせん法師・延暦寺別当)

散会の別れをば、山の桜に任せてしまおう、人々を引き留める留めないは、花の咲き散るに従ってそのままに……山ばの別れは、おとこ花に任せるがいい。女が引き留める留めないは、おとこ花に拠りけり、間に魔の思いに従おう)。

 

 

「山…山ば」「さくら…桜…木の花…おとこ花」「てむ…してしまおう…するがよい」「とめむ…引き留める…引き止める」「花…桜…木の花…おとこ花」「まにまに…思うままに…に従って…間に魔に…おんなに」。

  散会の別れは、山の桜に任せてしまおう、人々を引き留める留めないは、花の咲くに従って、そのままに、散れば皆帰る――歌の清げな姿。

山ばの離別は、おとこ花に任せるがいい、気にせず散らせ、女が引き留める留めないは、おとこ花に拠りけり、間に魔の思いに従おう――心におかしきところ。

 

おとこのはかない性、おんなの間餓鬼のような性、これらに克つと思えば、人は負ける。煩悩とわかれば思い通りにさせてやろう。

 (古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)