帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第八 離別歌 (382)かへる山なにぞは(383)よそにのみ恋やわたらむ

2018-01-05 19:49:35 | 古典

            

                        帯とけの「古今和歌集」

                      ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)を心得るべきである。藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も知るべきである。

 

古今和歌集  巻第八 離別歌

 

あひ知りける人の、越国にまかりて年経て、京にもうできて、

又帰りける時によめる            凡河内躬恒 

かへる山なにぞはありてあるかひは きてもとまらぬ名にこそありけれ

(相知った人が、越の国に赴任して、数年経って、京に参上して来て、又帰った時に詠んだ・歌……知り合った女が、山ば越したところに入って、疾しを経て、京の絶頂に参上して、また繰り返す時に詠んだ・歌)(おほしかふちのみつね)

(帰る山、名には有って有る効果は、帰って来ても、留らない名だったのだなあ……返る山、汝には有って、有る貝は、山ばの果てが・来ても、止まらない繰り返す、汝の名、だったなあ)。

 

「年へて…数年経って…疾し経て…早すぎるおとこのさが」「京…山の頂上…絶頂…感の極み」。

「かへる山…山の名…ものの名は戯れる。帰る山、返る山、繰り返す山ば」「なにぞはありて…何ぞは有りて…名にぞは有りて…汝にぞは有りて」「かひ…甲斐…効…価値…貝…おんな」「きても…来ても…(果てが)来ても」「も…強調の意を表す」「とまらぬ…泊まらぬ…止まらぬ」「けれ…けり…詠嘆を表す」。

 

かへる山という名に因んだ言葉あそび――歌の清げな姿。

返る山ば、貴女には有って有る貝は、山ばの果てが来ても、止まらないで繰り返す名の汝の身、だったなあ――心におかしきところ

 

おんなのさがの、おとことは比べるべくもない、長寿、繰り返すちから。

 

 

越国へまかりける人に、詠みて遣はしける

よそにのみ恋やわたらむ白山の 雪みるべむもあらぬわがみは

(越の国へ赴任した男に詠んで遣った・歌……越しのくにへ入った女に詠んで遣った・歌)(みつね)

(他所でだけ、恋い続けるのだろうか、白山の雪を観ることのできない、我が身は……白山の・て前あたりだけで、貴女を・恋しがり続けるのだろうか、やまばのおとこ白ゆきの、逝って見ることのできない、わが身の見は)。

 

「越くに…国の名…名は戯れる。山ば越えたところ、京を超えたところ」。

「よそ…他所…望む所ではない…そのて前」「白山…山の名…ものの名は戯れる。雪の山、おとこ白ゆきふる山ば」「雪…ゆき…行き…逝き」「みる…見る…観る」「見…み…身…媾…まぐあい」「は…主語を示す…強調を示す…詠嘆の意を表す」。

 

白山を拝める君がうらやましいよ、行って雪観ることもできないわが身には――歌の清げな姿。

遠くより恋しい思い続くよ、おとこの色に染まった山ばの、白ゆき、逝き、見ることできないわが身は――心におかしきところ。

 

おとこの儚い性(さが)、悲哀の詠嘆。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)