帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第八 離別歌 (396)飽かずしてわかるゝ涙たきにそふ

2018-01-18 20:25:51 | 古典

            

                       帯とけの「古今和歌集」

                      ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)を心得るべきである。藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も知るべきである。

 

古今和歌集  巻第八 離別歌

 

仁和帝、親王におはしましける時に、布留の滝

御覧じにおはしまして帰り給ひけるに、よめる

兼芸法師

飽かずしてわかるゝ涙たきにそふ 水まさるとや下や見ゆらむ

(仁和帝が親王であられた時、布留の滝、御覧になられて、お帰りになられたので詠んだと思われる・歌)(兼芸法師)

(飽かずして、君と別れてしまうわが涙、滝に沿う、水かさ増すと、下流で見えるだろうか……厭かずして、山ばで別れてしまう、わがものの涙、多気女に添う、をみな、情愛増すと、しもや、見ているだろうか)。

 

「仁和帝…光孝天皇・仁明帝第三皇子…五十数歳で即位された、まもなく藤原基経は関白太政大臣となる」「布留…地名・滝の名…名は戯れる。古い、老いた」「滝…言の心は女…多気…浮気…多情」。

「あかずして…飽かずして…厭かずして…満足できないまま」「わかるゝ…人と別れる…山ばと離れる」「水…水の言の心は女」「しも…下…下流…下半身」「見ゆ…見える…思える」「見…覯…媾…まぐあい」。

 

別れの涙の超誇張表現――歌の清げな姿。

満足せずして、山ばで別れてしまう、わがおとこ端の涙、老いた多気女に添う、情愛増すと、しもや、見ているだろうか――心におかしきところ。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)