帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第八 離別歌 (403)しゐて行人をとゞめむさくら花

2018-01-27 20:29:50 | 古典

            

                      帯とけの「古今和歌集」

                     ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)を心得るべきである。藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も知るべきである。

 

古今和歌集  巻第八 離別歌

 

(題しらず)           (よみ人しらず)

しゐて行人をとゞめむさくら花 いづれを道とまどふまで散れ

 

(強いて帰り行く男を、とゞめたいの、桜花よ、いずれを道とまどふまで散ってよ……気ままに逝く男を止めてやる、おとこ花よ、どこを通い路かと惑うほどに、咲き散れ)

 

「しゐてしひて…強いて…恣意で…勝手気ままに」「行人…出立する人…帰り行く人…逝く男…逝くおとこ」「む…意思を表す…したい…してやる」「さくら花…木の花…男花…おとこ花」「木…言の心は男」「道…路…通い路…おとこの通い路…おんな」「ちれ…散ってよ…言い放ち…散れ…命令形…咲き散れ」。

 

帰りゆく男を留めたいの、桜花、道が分からなくなるほどに、咲き散らして――歌の清げな姿。

気を抜くな、おとこはなよ、精一杯に咲き散れ――心におかしきところ。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)