帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第八 離別歌 (379)白雲のこなたかなたにたちわかれ

2018-01-04 19:42:16 | 古典

            

                       帯とけの「古今和歌集」

                      ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、「言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)」を心得るべきである。藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も知るべきである。

 

古今和歌集  巻第八 離別歌

 

友の東へまかりける時によめる 良岑秀崇

白雲のこなたかなたにたちわかれ 心を幣とくだく旅哉

(友が東国へ赴任したる時に詠んだと思われる・歌……誕生以来の伴立ちが、吾妻へいった時に詠んだらしい・歌)(良岑秀崇・伯耆国守)

(白雲のように、こちらあちらにたち別れ、お互いを思い・心を幣のように砕く苦慮の旅だなあ……白々しい心雲が、こちらにも、あちらにもたち、別れ、男心砕き、幣のように、かみに・女に、たむける吾妻路の旅だなあ)。

 

「ぬさ…幣…布などを細かく砕いて神に捧げるためにまき散らしたもの…神へ捧げるもの…女にたむけるもの…おとこのこころ」「と…のように…比喩を表す」「神…かみ…言の心は女」「哉…かな…だなあゝ…感動・詠嘆の意を表す」。

 

お互いのことを気遣いつつ、別れゆく、友の旅路を思う――歌の清げな姿。

誕生以来の伴立ちのわが貴身が、吾妻路をゆき、ぬさをかみのために、うちくだき、たむけるさま――心におかしきところ。

 

匿名の女歌にくらべると、男どもの歌は、どうしてこうも、エロスが弱々しく面白くないのだろう、うしろめたい思いをいつも抱いていて、言い訳がましくなるからかな。

 

男どもも、外聞、地位、出世の全てを捨てたならば、よみ人しらずの女歌に優るとも劣らないだろう。

人麿、業平は、それらを捨てた人である。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)