帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第八 離別歌 (397)秋萩の花を雨にぬらせども(398)おしむらん人の心を知らぬまに

2018-01-20 19:17:17 | 古典

            

                       帯とけの「古今和歌集」

                      ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)を心得るべきである。藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も知るべきである。

 

古今和歌集  巻第八 離別歌

 

雷壺に召したける日、大御酒など賜べて、雨の

いたう降りければ、夕さりまで侍りてまかり出

でける折に、さか月を取りて、     貫之

秋萩の花を雨にぬらせども 君をばましておしとこそおもへ

(内裏の北東の隅にある詰所にお召しになられた日、男ども大御酒など賜って、雨がたいそう降ったので、夕ぐれまでお側にいて、みな出でた折に、さかつきを手にもって・詠んだ歌)(つらゆき)

(秋萩の花を、しぐれに濡らしたままの別れは・つらいけれども、君をば、なおいっそう名残惜しいと、思う……厭きた端木・さかつきを、その時のおとこ雨に濡らすのも残念ながら、なおさら、濡れたわが貴身をば、名残惜しく思う)。

 

 

「さか月…盃…逆手に持った月人おとこ…わが貴身」「月…月人壮士…月の言の心は男…おとこ」。

「秋萩…ものの名は戯れる。飽き端木、厭きのおとこ」「花…おとこ花…おとこ端」「雨…時雨…その時のおとこ雨…冷たいおとこあめ」「君…貴身…わが身…わがおとこ」「おし…惜し…愛おしい…見捨てられない…愛着がある」。

 

秋萩の花を、しぐれに濡らしたままの別れは、つらいけれども、君をば、まして名残惜しいと、思う――歌の清げな姿。

厭きた端木を・手に持ったさか月、その時のおとこ雨に濡らすのも残念ながら、濡れたわが貴身をば、なおいっそう愛おしく惜しと思う――心におかしきところ。

 

 

とよめりける返し           兼覧王

おしむらん人の心を知らぬまに 秋のしぐれと身ぞふりにける

     (と詠んだ返歌)             (かねみのおほきみ・惟嵩親王の子・紀氏と縁深い人

(惜しむであろう人の心を、気づかかない間に、秋のしぐれととともに、我が身も、古り、老いてしまったことよ……愛おしみ惜しむであろう女の心を、気づかない間に、厭きのその時の冷たいお雨とともに、我が身も古びてしまったなあ)。

 

 「人…人々…男ども…女」「秋のしぐれ…厭きの時雨…厭きの冷たいおとこ雨」「と…と共に…となって」「ふり…降り…古り…歳老いる」「ける…けり…気づき・詠嘆の意を表す」。

 

諸君を引き留めてしまった、人の心に気付かぬまま、われはもうろくしたことよ――歌の清げな姿。

愛おしみ惜しむであろう女の心を、気づかない間に、厭きのその時の冷たいおとこ雨とともに、我が身も古びてしまったなあ――心におかしきところ。

 

両歌の「心におかしきところ」に、しぐれに濡れて帰る男どもの心は和むだろう。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)