帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第八 離別歌 (388)人遣りの道ならなくに(389)慕はれて来にし心の

2018-01-11 19:46:43 | 古典

            

                       帯とけの「古今和歌集」

                      ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)を心得るべきである。藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も知るべきである。

 

古今和歌集  巻第八 離別歌

 

山崎より神奈備の森まで送りに、人々まかりて、帰り

がてにして、別れ惜しみけるに、よめる    源実

人遣りの道ならなくに大方は 行き憂しといひていざかへりなむ

(山崎より神奈備の森まで、見送りに人々やって来て、帰りがけに、別れ惜しんだので、詠んだと思われる・歌……山ば前より、女の安住する盛りまで、送り届けに、男たち来て、かえりがけに、別れを惜しんだので詠んだらしい・歌) (みなもとのさね)

(この旅は、人に派遣された道ではないので、皆様は、これ以上見送って行き憂しと言って、さあお帰り頂きたい……女を送り届ける路ではないので、大いに堅い端も、逝き憂しと言って、さあ、引き返したまえ)。

 

「山崎…山前…山ば前」「神奈備…神が鎮座するところ…女が住まうところ」「神…上…女」「森…盛り…ものの盛り」。

「人遣り…他人に派遣される…人を派遣する…女を山ばまで送り届ける」「道…路…通い路…おんな」「大方…皆様…おお堅…おおいなるおとこ」「行き…逝き」「憂し…苦しい…気が進まない」「かへり…帰り…引き返し」「なむ…(何々して)ほしい…相手に望む意を表す」。

 

人に派遣された道ではない、気ままな道中なので、皆様は、これ以上行き憂しと言って、お帰り頂きたい――歌の清げな姿。

女を山ばに送り届ける道中ではないのだから、大いに堅い皆様も、逝き憂しと言って、お引き取り願いたい――心におかしきところ。

 

 

今はこれより帰へりねと、実が言ひける折に、よみ

ける                 藤原兼茂

慕はれて来にし心の身にしあれば かへるさまには道もしられず

(今はこれより帰えってくれたまえと、源実が言った折に詠んだ・歌……井間は、これよりかえり給えとさねが言った折りに詠んだ・歌)(藤原のかねもち)

(君が・慕わしくて来てしまった心とおなじ身なので、帰る状況では、帰り道もわからないよ……わが貴身の・下張れて来てしまった、そんな心の身であれば、引き返す情況では、かえりの通い路もわからないよ)。

 

「いま…今…井間…おんな」「実…人の名…戯れる。さね、核心、真実(マジ)」「おり…折…時…折り…逝」。

「したはれて…慕わしくて…下張れて…身の下張りきって」「にし…(そう)なってしまった…で(あれば)」「かへる…帰る…引き返す」「道…路…通い路…おんな」。

 

君を慕って来てしまった心と身であれば、帰る状況では、帰り道もわからないよ――歌の清げな姿。

わが身の下張りきって来てしまったので、井間は、帰ってとマジで言われても、この情況では帰り路もわからないよ――心におかしきところ。

 

両歌とも、源実に快く聞こえるように詠んだ歌。さらに、包まれた歌のエロスは、聞こえれば、人々の心をくすぐるように、おかしい。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)