帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの新撰和歌集 巻第一 春秋 (九十七と九十八)

2012-05-12 00:06:46 | 古典

   



           帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知らず、紀貫之の云う「言の心」を心得ないで、和歌の清げな姿のみ解き明かされて来た。藤原公任は、歌には心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。言の心を紐解きましょう。帯はおのずから解け人の心根が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集巻第一 春秋 百二十首(九十七と九十八)


 折りてもみ折らずても見む水無瀬川 みなそこかけて咲ける山吹 
                                    (九十七)

(折り取っても見、折らずにも見よう、水無瀬川、川底一面に咲いた山吹よ……ゆきても見よう、折らずにも見よう、をみな無し背かは、をみなの其処懸けて、炸ける山ばのお花よ)。


 言の戯れと言の心

 「折り…折り取り…逝き」「見…覯…媾…まぐあい」「みなせかは…水無瀬川…川の名…水の流れていない川…水が川底の下を流れる川…をみな無しの背かは…独り身の男かは…見無し男かは」「水…女」「かは…川…だろうか…疑問を表す…何々だろうかいやそうではない(遠くに妻は居る旅の男か)…反語を表す」「みなそこ…水底…川底…をみなの其処」「かけて…一面に亘って…懸けて…懸命に」「さける…咲いた…炸ける…炸裂した…放ける…放出した」「山吹…花の名…名は戯れる、山ばで吹き出るもの、山ばの、噴火、噴煙、白煙、おとこの情念」。



 秋風の吹上にたてる白菊は 花かあらぬか波のよするか 
                                    (九十八)

(秋風の吹く、吹上浜に立っている白菊は、花かそうではないのか、白波が寄せているのか……飽き風の吹きあげに立つ、白々しい女の華は、お花のせいか、白なみ寄せているのか)。


 言の戯れと言の心

 「秋…飽き…厭き」「吹上…浜の名、名は戯れる、吹いて事の終わり、心に吹きあがる風」「浜…端間…女」「白菊…清楚な女花…白々しくなったあきの華」「花…木の花…おとこ花」「波…男波…片男波…白じらしい汝身…白けたおとこ」。



 春歌は水の無い川底一面に咲いた山吹の花の景色、清げな姿。言の戯れに顕れるのは、如何なる事情か、妻とひきはなされたおとこの独白のよう。


 秋歌は州浜に立つ白菊の風情、清げな姿。言の戯れに顕れるのは、如何なる事情か、妻にあきかぜ吹かされた男の独白のよう。



 伝授 清原のおうな

 
 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九 新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。




帯とけの新撰和歌集 巻第一 春秋(九十五と九十六)

2012-05-11 00:01:26 | 古典

   



               帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知らず、紀貫之の云う「言の心」を心得ないで、和歌の清げな姿のみ解き明かされて来た。藤原公任は、歌には心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。言の心を紐解きましょう。帯はおのずから解け人の心根が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集巻第一 春秋 百二十首(九十五と九十六)


 春雨ににほへる色もあかなくに 香さへなつかし山ぶきの花 
                                    (九十五)

(春雨に艶やかになった花の色も、飽きがこないのに、香さえ好ましい山吹きの花……春冷めに、色艶も飽き足りないことよ、香さえ心ひかれる、山ばでさいたお花、女の華よ)。


 言の戯れと言の心

 「はるさめ…春雨…春情のお雨…春冷め…春情熱の冷え」「にほふ…鮮やかに色づく…艶っぽく美しい」「色…色彩…色艶…色情」「あかなくに…飽きないのに(詠嘆を含んだ逆接)…飽きないことよ(詠嘆を含んだ打消し)」「飽き…飽き満ち足り」「香…匂い…かおり」「なつかし…好ましい…心ひかれる」「山ぶきの花…山吹の花…春の草花…山ばで吹きだすおとこ花…春の女の華(体言止めは詠嘆の意を含む)」。

 


 露ながら折りてかざさむ菊の花 老いせぬ秋の久しかるべく 
                                    (九十六)

(露のあるまま折って挿頭にしよう、長寿の花、老いない秋が、きっと久しくあるだろう……白つゆのまま、折って翳そうよ、あきの花、ものの極まり来ない飽き満ち足りが、久しくあるはずだ)。


 言の戯れと言の心

 「つゆ…露…白つゆ…おとこ白つゆ」「おり…折り…逝き」「かざさむ…挿頭にしょう…翳そう…これで何々を隠そうよ」「む…意志を表す…勧誘を表す」「菊の花…秋の草花…女花…長寿の花…菊の露は長生きの薬(俗信)…飽きの女の華」「おい…老い…ものの極まり…感の極まり」「べく…あるだろう(推量)…何々であるにちがいない…であるはずだ」。

 


 春歌は春雨に濡れた山吹の風情、清げな姿をしている。歌は唯それだけではない。女歌と聞いて、飽き足りない、あの香がなつかしいというのは、心におかしい。長つづきしないおとこのさがに対する皮肉は、貫之の云う「下以諷刺上」の種にもなる。

 
 秋歌は菊の露を詠んで清げな姿をしている。歌は唯それだけではない。おとこのさがをそのままで、女たちよ、その華でおとこの短い極まりを隠しましょうという、勧誘と聞けば、心におかしい。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず

  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九 新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。


帯とけの新撰和歌集 巻第一 春秋(九十三と九十四)

2012-05-10 00:31:51 | 古典

  

 

 

          帯とけの新撰和歌集

 

 歌言葉の戯れを知らず、紀貫之の云う「言の心」を心得ないで、和歌の清げな姿のみ解き明かされて来た。藤原公任は、歌には心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。言の心を紐解きましょう。帯はおのずから解け人の心根が顕れる。

 

 紀貫之 新撰和歌集巻第一 春秋 百二十首(九十三と九十四)

 

 かはづ鳴く神奈備川にかげ見えて いまやさくらむ山ぶきの花 

                                    (九十三)

(蛙鳴く神奈備川に映る影みえて、今、咲くのだろうか、山吹の花……をみな泣くかみ靡かはに、陰りみえて、今や、ひきさくのだろう、山ばの女の華)。

 言の戯れと言の心

 「かはづ…蛙…川津…鳴くもの…女」「神なび川…川の名…名は戯れる、かみ靡く川、女なびくかは」「かげ…影…水に映ったもの…陰…陰り」「さく…花が咲く…華が咲く…裂く…ひきさく」「やまぶきの花…草花…女花…山ばで咲く女の華」「やまふく…山吹く…山の噴火、噴煙…山ばでの噴射、噴出…おとこのさが」。

 「やまぶきの花」は、女花として次のようにも詠まれている。万葉集 巻十九、「妹に似る草と見しより我が標めし 野辺の山吹誰か手折りし」。

 


 濡れてほす山路のきくのつゆの間に いつか千歳を我はへにけん 
                                    (九十四)

(濡れては乾く山路の草花の露の間に、いつ、千歳を我は経ていたのだろうか……しっとり濡れて、しつくす、山ばの路の、女の華の、ほんの少しの間にいつ千歳も、我は過ごしていたのだろうか)。


 「濡れて干す…自然の営み…俗世の自然な営み」「濡れて…露に濡れて…女花のつゆに濡れて」「ほす…干す…し尽くす…飲みほすのほす」「やまぢ…山路…山ばの路…山ばの女」「路…女」「きく…秋の草花…飽きの女華…久しくあるべきもの」「へにけん…経ていたのだろう…過ごしていたのだろう」。

 「きく」は、次のようにも詠まれている。古今集 巻第五 秋歌下 貫之「秋の菊にほふ限りはかざしてむ 花より先としらぬ我が身を」。「あきのきく…飽きの女華」「にほふかぎりは…色の艶やかに見える間は」「さき…女の華よりも先…逝くのが先」「わがみを…我が身を…我が身おとこ」。

 


 春歌は神奈備川に映える山吹の花を詠んで清げな姿をしている。男のさがと女のさがの時のずれ、和合の成り難さ。


 秋歌は山路の菊の露を詠んで清げな姿をしている。色事をぬけ出た男の思い。


 歌それぞれ添えられた色艶のある余情が心におかしい。



 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず

  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九 新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。


帯とけの新撰和歌集 巻第一 春秋(九十一と九十二)

2012-05-09 00:02:00 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知らず、紀貫之の云う「言の心」を心得ないで、和歌の清げな姿のみ解き明かされて来た。藤原公任は、歌には心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。言の心を紐解きましょう。帯はおのずから解け人の心根が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集 巻第一 春秋 百二十首(九十一と九十二)


 としふればよはひは老いぬしかはあれど 花をし見ればもの思ひもなし 
                                   (九十一)

 (年経れば、齢は老いる、しかしながら、この花を見れば、まだもの思いもない……疾し過ぎれば、夜這いは極まってしまうしかし、このお花、愛し、見ればもの思いもしていない)。


 言の戯れと言の心

 「とし…年…疾し…早過ぎ…おとこのさがの性急な性癖」「よはひ…年齢…夜這い…まぐあい」「おい…老い…年齢の極まり…ものの極まり…感の極まり」「しかはあれど…そうではあっても…そういう肢下はあるけれど」「花…木の花(桜)…おとこ花」「をし…をだ(強調)…愛し…惜しい…愛執着がある」「し…強意を表す…肢…子…おとこ」「見…覯…まぐあい」「もの思ひもなし…感の極みに至る思いもなし…いまだ平常心、すばらしい、ご立派」。

 

 
 をり人のこずのまにまに藤ばかま うべも色濃くほころびにけり  
                                      (九十二)

 (織り人の来ない間に、その間に、藤袴、なるほど名が草花だけに、色濃いまま綻んだことよ……逝き人の山ば越す間に、その間に、草花のひと、もっともなことだな、色濃くほころんだそうだ)


 言の戯れと言の心

 「をり…織り…折り…逝く」「ひと…人々…女…男」「こす…来ず…来ない…越す…通過する」「まにまに…間に間に…間が空いた間に」「ふぢばかま…藤袴…草花…秋の七草の一つ…女花…名は戯れる、腰に着ける衣、藤衣、粗末ながら強いはかま」「うべ…もっともだ…なるほどそれで」「いろこく…色濃く…色彩濃く…色情濃く」「ほころび…衣が綻びる…花が開き始める…盛りになり始める」「けり…気付き、詠嘆、伝聞などの意を表す」。



 春歌の桜花礼讃は清げな姿。男花礼賛は我褒め、地位自慢と聞いて、山の頂上にのぼりつめて未だ何とも思っていないという。わがおとこ花の自慢と聞いて、心におかしい。
 

 秋歌は袴の綻びを草花のほころぶ景色に寄せて詠んだ、清げな姿をしている。おとこのさがと、おんなのさがの違いを伝聞として述べたと聞けば、心におかしい。


 
 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず

  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九 新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。


帯とけの新撰和歌集 巻第一 春秋 (八十九と九十)

2012-05-08 00:01:01 | 古典

  



          帯とけの新撰和歌集



 歌言葉の戯れを知らず、紀貫之の云う「言の心」を心得ないで、和歌の清げな姿のみ解き明かされて来た。藤原公任は、歌には心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。言の心を紐解きましょう。帯はおのずから解け人の心根が顕れる。


 紀貫之 新撰和歌集巻第一 春秋 百二十首(八十九と九十)


 春ごとに流るゝ川を花と見て 折られぬ水に袖や濡れなむ 
                                    (八十九)

(季節の春毎に、映して流れる川を花と見て、折れない川水に、衣の袖、濡れるでしょうか……春事に流れる女と男、お花とともに見て、折られぬをみなに、見たのに、身のそで濡れるでしょうか、濡れないでしょうが)。


 言の戯れと言の心

 「はるごと…春毎…春情事」「川を…女と男」「川…女」「花と…花として…花と共に…お花と一緒に」「花…木の花…おとこ花」「見…覯…まぐあい」「折られぬ…木の枝を折れない…身の枝を折れない…果てることができない」「折…逝」「みつに…水に…女に…見つに…見たのに」「水…女」「見…覯…まぐあい」「そでやぬれなむ…そで濡れるだろうか濡れない…身の端濡れるだろうか濡れない」「そで…袖…端…身の端」「や…疑問の意を表す…反語の意を表す」「なむ…きっと何々だろう…推量の意を表す」。

 


 山川に風のかけたるしがらみは 流れもあへぬもみぢなりけり 
                                     (九十)

(山を流れる小川に、風の架けたせき止め柵は、流れきれないもみじ葉だったことよ……山ばのをみなに、心風の架けたせき止めは、流れも耐えきれない、合えない、飽き色の端だったのだなあ)


 言の戯れと言の心

 「山…山ば」「川…女」「風…心に吹く風…山ばの風…飽き風…厭き風」「しがらみ…柵…流れを止めるもの…浮かれた心地をせき止めてしまうもの」「ながれも…流れも…流出も…汝涸れも…男の枯れ果ても」「も…強調する意を表す」「あへぬ…耐えられない…最後まで何々しきれない…合えない…和合できない」「もみぢ…もみじ葉…秋色の葉…飽き色の端…飽き色の身の端」「なりけり…何々だったのだなあ」。

 


 春歌は川面に映り流れる木の花を見物するありさま、清げな姿。歌は季節の景色、ただそれだけではないと貫之はいう。女の思いが見るものにつけて言葉になされてある。生々しい心の内を言葉の戯れに包んである。


 秋歌は山川の秋景色と聞くのは清げな姿。ただそれだけではないと、即ち「非唯春霞秋月」と、貫之はいう。男の思いが言の葉に成されてある。おとこのさがの自嘲とも聞こえる。

 


 伝授 清原のおうな


 鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。

 聞書 かき人しらず


  新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。