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帯とけの新撰和歌集
歌言葉の戯れを知らず、紀貫之の云う「言の心」を心得ないで、和歌の清げな姿のみ解き明かされて来た。藤原公任は、歌には心と、清げな姿と、心におかしきところがあるという。言の心を紐解きましょう。帯はおのずから解け人の心根が顕れる。
紀貫之 新撰和歌集巻第一 春秋 百二十首(百七と百八)
みどりなる松にかけたる藤なれど おのがこゝろと花はさきけり
(百七)
(常盤なる緑の松に掛っている藤であるけれど、己が心のままにと、花は咲くのだなあ……若いまつ女に掛る藤だけれど、己の心で、ここ、ころあいと、女華は咲くことよ)
言の戯れと言の心
「みどり…緑…新緑…春…若々しい」「松…常緑…待つ…女」「藤…つる…延びる…這う…長い…不致…到りつかない」「こころと…心のままと…此のころあいと」「花…藤の花…女花…女の華」「けり…気付き、詠嘆などの意を表す」。
ひともとゝ思ひし花を大沢の 池のそこにもたれかうゑけむ
(百八)
(一本だけと思った花を、大沢の池の底にも、誰が植えたのだろう……一度だけと思った女華よ、大さわの、多情の逝けのそこにも、誰が植えたのだろうか、まだ有ることよ)。
「ひともと…一本…一回…一度」「花…草花…女花」「大沢…所の名…名は戯れる、さは、水べ、女、多い、沢山、潤沢、多情女」「池…逝け…山ばから落ち窪んだところ」「そこ…底…其処」。
両歌とも、清げな姿は、うそぶき。心におかしきところは、おとこのさがの素早き一過性の、劣性の裏返しで、おんなのさがのもてあそび。
伝授 清原のおうな
鶴の齢を賜ったという媼の秘儀伝授を書き記している。
聞書 かき人しらず
新撰和歌集の原文は、『群書類従』巻第百五十九 新撰和歌による。漢字かな混じりの表記など、必ずしもそのままではない。又、歌番はないが附した。