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帯とけの拾遺抄
藤原公任『新撰髄脳』の「およそ歌は、心深く、姿清よげに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」に従って和歌を紐解いている。
近世以来の和歌の解釈は、紀貫之・藤原公任・清少納言・藤原俊成らの、平安時代の歌論や言語観を無視して、独自の解釈方法を構築した。歌を字義通りに聞き、言の戯れは、序詞、掛詞、縁語などと名付けて、和歌はそのような修辞で巧みに表現されてあるという。字義通り聞くと意味の通じない序詞などを歌の調べとしての意義があるなどという。このような解き方が定着すれば、平安時代の歌論や言語観を無視するか曲解するしかない。これは本末転倒である。逆さまにして、近世以来の学問的解釈方法を棄ててみたのである。
拾遺抄 巻第三 秋 四十九首
屏風に八月十五夜にいけ有るいへにてあそびたるかた有る所に 源順
百十五 水のおもにてる月なみをかぞふれば こよひぞ秋のも中なりける
屏風に八月十五夜に池の有る家にて遊宴している絵の有る所に (源順・清原元輔らと共に後撰和歌集撰者)
(水面に照る月齢を数えれば、今宵ぞ、秋の真ん中であったなあ……をみなの面に・表れる、照るつき人壮子の波動の数をかぞえれば、小好いぞ、飽きの真っ盛りだなあ)
歌言葉の言の心と言の戯れ
「水…言の心は女…をみな」「てる月…照る月光…てり輝くつき人をとこ…火照る君」「月…月人壮子…男…突き…尽き…おとこ」「なみ…次…令…齢…波…波動…汝身」「かぞふ…数える…勘定する…勘案する」「こよひ…今宵…八月十五夜…小好い」「秋…季節の秋…飽き…飽き満ち足り」「も中…最中…真っただ中…真っ盛り」「なりける…であるなあ…であったのだなあ」
歌の清げな姿は、細波の水面に映る満月。
心におかしきところは、をみなの表情に反映するおし照る月人壮士のありさま。
延喜御時に八月十五夜後涼殿のはざまにて蔵人所の男ども月の宴し侍りける 藤原経臣
百十六 ここにだに光さやけきあきの月 雲の上こそ思ひやらるれ
延喜御時に八月十五夜、後涼殿と蔵人所町屋の狭い間にて、蔵人所の男どもが月見の宴をした (藤原経臣・蔵人・後に肥前守になったという)
(ここでさえ、光清らかに澄んでいる秋の月、雲の上では、どれ程だろうと・想像される……男どもだけの・ここだからこそ、光清らかに澄んでいる、常には盛る・飽きのつき人おとこ、煩悩湧き立つ上の、上こそ思い晴らせる)
歌言葉の言の心と言の戯れ
「ここ…蔵人ども…六位の男達…蔵人所の町屋と後涼殿(更衣・女御の居所)との狭間」「だに…でさえ…だけは」「光…月光…男の輝き」「さやけき…清らかな…澄んだ」「あきの月…秋の月…飽きのつき人壮子…盛りのおとこ」「月…上の歌と同じ」「雲の上…殿上人(五位以上の選ばれた人)…天上…煩悩の上」「雲…空の雲…心に煩わしくも湧きたつもの…煩悩」「上…天上…女の尊称…ひとの上」「思ひやらるれ…想像される…心配される…思いを晴らせる」
歌の清げな姿は、地上の月光に比べて天上の月光の清らかさの想像。
心におかしきところは、色欲湧き立つ月人壮士、八雲たちわたる上の、その上での心遣り。
これらの歌や撰者の公任とは、全く同じ文脈にある清少納言枕草子(第二章)に、「月」の羅列で成る文がある。
比は、正月、三月、四月、五月、七八九月、十一二月。すべて折りにつけつつひととせながらおかし。
前半は、一年を十二分した名称の羅列であるとすると、意味不明で、「全て季節・時節の折々に伴って、一年中、情趣がある」と読んで、前半は捨て置くか、「序詞」とでもするしかないだろう。
戯れも含め「月」の意味することを全て心得たとき、清げな姿に包んだ「心におかしきところ」のある文章であるらしいとわかる。前半の、まな(漢字)を女の言葉(歌の言葉)に変換して読んでみる。
(ころ合いは、睦ましいつき、や好い、浮つき、さつき、なな、やあ、ここのつき・長つき、十、あと一、二つき。すべて、折り逝きつつも、女と背の君の心柄、おかしい)。
紫式部の「清少納言枕草子」批判をヒントに紐解いた。「清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける人、さばかりさかしだち、真名書き散らして侍るほども、よく見れば、いとたへぬことおほかり」(清少納言こそ、してやったり顔で、お上手な人・ひどい人。あれほど賢こぶって、枕草子に・漢字を書き散らして居らっしゃる程度も、よく見れば、とても耐えられないことが多くあります)」と、紫式部日記にある。さすがに的確な批評であるとわかる。枕草子にはこの類のことが多くあるらしい。
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。