空の道を散歩

私の「仏道をならふ」の記

ロルフィングその2

2013-03-18 11:40:49 | 健康・病気

 ロルフィング体験のつづき。

  ベッドに横たわって、ロルファーが首の下に手を入れようとしたときも、私は反射的に首をあげようと力を入れた。すると、「今、首をあげようとしましたね。これからは、そういうことをせずに、なされるままに身体を私にまかせてください」と言われた。

 「今まで、相手の行動を先読みして、いつも反射的に体を動かしてきたような気がします」というと、Aさん「そうしなければ、これまで、あなたは生きてこられなかったからですよ。でも、これからは、そうしないでもいいんです。ゆったりを自然にまかせればいいんです。あなたはたとえばよく訓練された盲導犬や介助犬のように、とても良い生き方をしてこられたんです。でも、ハーネスを外された盲導犬のように、これからは自由に、思うように生きていいんですよ」。

 いつも気配りして、反射的に先に先に行動するようにしてきた結果、私の身体はストレスにさらされ、身体にゆがみを作ってきたわけだ。

 この時も、今まで、いかに肩肘張って生きてきたかを思い知らされた。

 歩きの学習では、ロルファーが私の背中の腰の部分に指を当てた状態で歩く訓練をした。うまく歩くことができると、「そう、今の歩き方でいいですよ」と言われるのだが、ぴんとこない。ただ、これかなっと思える瞬間があって、その時は、足がふっと軽くなって前に進んだような気がした。

 ロルファーは、私の指を自らの背中に同じように当てさせて、正しい歩き方ができたときと、そうではないときの違いを示してくれた。正しい歩き方のときは、指が身体をしっかり感じている。そうでないときは、指先がふにゃふにゃして、暖簾に腕押しという感じがした。「背中に指を当てなくても、常に、私はここにいるとイメージして歩いてください」。

  終わって、鏡の前に立つと、体つきはあまり変わらないが、力なくゆるんでしわだらけだったお腹が、ややしゃんとしている。お腹に力をいれなくても、自然に姿勢よく立っていられる。お腹に手を当てると、水をいれたゴム風船のようにぷよぷよしていたのが、適度な弾力を感じた。

 Aさんいわく。「普通、このような治療は、故障を起こす前のように戻るのが最終的な目的ですが、ロルフィングは、前以上によくなって、若々しい身体を取り戻せますよ。その過程を楽しみましょうね」。

 帰るときは、腰も伸び、肩甲骨も開いて、本当に足取りも軽くなっていた。

 この状態は、一夜明けてからも続いた。毎朝、目覚めたときすでに固くなっている身体を、意識してほぐし、腰に手を当てて骨盤をゆるめて腰を伸ばし、痛みを感じながら肩甲骨を後ろに開かなければならなかったのに、気がつけば腰が伸び、肩甲骨も開いていた。歩き続けても、疲れを感じない。

  ちょっと首が凝ったり、肩甲骨が固くなったと感じたときには、意識的に呼気を背中全体に入れるように呼吸したり、背中に指を当てて歩いたり、軽く腕を回したりすると、楽になった。

 それから、これは2日目に気付いたことだが、臭気のきつかった便が、ほとんど臭いがしなくなっていた。ロルフィングと関係があるのか、ないのか。

 何よりいいのは、教えられたとおりに呼吸し、歩くことに気をつけるようになったことだ。

 ロルフィングを勧めてくれた友人に感謝している。その友人は、ロルファーと患者との関係が、能のシテとワキの関係に似ているという。能のワキ方の安田登さんもロルファーで、能とロルフィングを関連させた著作もある。どちらが一方的に主役、どちらが一方的に脇役という関係ではなく、お互いの立場でお互いに働きかける関係だ。

 明日は2回目のセッション。どんな経験が待っているか、とても楽しみ。