空の道を散歩

私の「仏道をならふ」の記

入江泰吉作品展

2017-08-14 01:05:41 | アート・文化

 12日、友人に誘われて、入江泰吉記念奈良市写真美術館に行った。開館25周年を記念した「入江泰吉菊池寛賞受賞作品展」が開かれていた。

 大分前に入江泰吉の作品が奈良市に寄贈されて、写真美術館ができていたことは知っていたが、訪れるのは初めてだ。

 菊池寛賞を受賞した写真集『古色大和路』『萬葉大和路』『花大和』の中から、代表作約70点が展示されていた。

 誘ってくれた友人は、NHKの日曜美術館で写真展が紹介されていたのを見て、作品に心惹かれ、奈良に詳しい私に、一緒に行かないかと声をかけてくれた。

 阪神電車と相互乗り入れしている近鉄の快速急行は冷房が効いて、猛暑の外界が嘘のように快適だったが、奈良駅でおりると、奈良燈花会が飛火野で開催中、加えてお盆の土曜日とあって、観光客、それも外国人観光客で大変な人出だった。

 駅前からのバスも観光客で超満員だったが、東大寺・春日大社前でほとんどが下車、あとは私と友人の貸し切り状態。美術館最寄りの破石町バス停で降りるとバスは空っぽになった。

 バス停から美術館までがけっこう距離があった。観光地図を見ながら歩いても、途中は緩やかな曲がり道で見通しがきかない普通の住宅街、正しい道を行っているのか不安になるほど、なかなかたどりつけない。

 この高畑界隈は、かつて志賀直哉が住んでいたり、新薬師寺、白毫寺などもあり、お定まりの東大寺、興福寺、春日大社などを離れて静かに散策したい人には人気がある観光地だ。

 住宅や木立の影をひろいながら、やっとたどりつくと、なかなか立派な建物だった。後で思い出したのだが、この建物を設計したのは、若尾文子の旦那さんだった黒川紀章である。入り口を入ると、イントランスホールの奥にカフェがある。階下が展示会場になっている。入場料は500円と安い。

 入江泰吉の作品は、観光ポスターや本や雑誌などで見て知ってはいたが、ちゃんと見たことはなかった。大きなパネル仕立ての作品は、やはり見ごたえがある。

 途中から、作品展を担当した学芸員が、主な作品の前で、写真家入江泰吉のことや、撮影秘話などを解説してくれた。最初は私と友人と、あと二人ぐらいしか集まらなかったが、次第に人が増えて、10人ぐらいが学芸員の解説に聞き入った。

 解説によると、入江は、菊池寛賞の受賞を喜んでいたそうだ。プロ向けの写真賞より、広く大衆に写真を知ってもらうきっかけになるからだ。受賞した写真集は、住宅ブームに乗って、百科事典と並びリビングを彩る豪華本として、高価な写真集にしては驚異的な売り上げ部数を記録した。出版元の保育社のビルが建ったそうである。

 展示の作品は、カラー写真を撮るようになって以降、50代から60代にかけて、入江の写真に対する姿勢がほぼ定まった時代のものが多い。単に大和の風景を美しく撮るのではなく、歴史や万葉集の歌が詠まれた背景、作者の生きざまなどをイメージし、作品に投影している。

 イメージしても、その通りの風景が現れてくれるわけではないので、撮影にふさわしい場所を探して歩き回り、場所が設定されても、気象や時間、その時の光、風の状態によって、まったく違ってしまう。イメージどおりの風景が現れる時まで何度も通い続け、待ち続けたので、「待ちの入江」と言われたそうだ。

 一番気に入ったのは、[二上山暮色」だ。夕焼け空の中に不穏な黒雲がひろがって、地上に黒々と横たわる二上山をいまにも呑み込もうとしているかのようだ。入江が撮りたかったのは、もちろん、二上山に葬られている大津皇子の怨念である。

 私は、折口信夫の『死者の書』を思った。中将姫のもとに、怨念のため成仏できない大津皇子がおどろおどろしく現れる場面を連想した。

 もう一つは、山田寺の写真。蘇我倉山田石川麻呂が建てた寺で、大化の改新で蘇我入鹿暗殺に加担したが、後に中大兄皇子らの陰謀により謀反を企てたとされ、兵に囲まれて、妻子とともに山田寺で自害した、その現場である。

 近代になってから再建された寺の屋根が樹木の中に埋もれている。屋根と背景は暗い影に覆われていて、手前のススキの原だけに光があたっている。不思議なというより、不気味な感じの風景だ。ここでも、入江が撮りたかったのは、歴史の中に埋もれた悲劇と、人々の怨念だろう。

 さらにもう一つ、気に入った作品がある。解説を聞いたおかげで目に留まった作品だ。桜井市の吉隠(よなばり)の里に雪が降っている風景。これは、穂積皇子が、亡くなった恋人、但馬皇女の墓を望んで詠んだ挽歌「降る雪はあはにな降りそ 吉隠の猪養の岡の寒からまくに」とうたった現場である。

 桜井市の観光協会のホームページには、雪が積もって晴れた吉隠の棚田の写真が載っているが、入江の写真は、積雪に至る前、雪が降りだして、だんだんとその降り方が激しくなろうとする、その時をとらえている。

 但馬皇女を偲んで挽歌を詠んだ穂積皇子の思いが、その降る雪に込められているのである。

 ほとんどの写真は、1970年年代、高度経済成長の波の中で、古き良き日本の風景が破壊されていった時代に撮影されている。入江が撮った風景は、今は多くが失われてしまった。このような入江の作品は、芸術作品であると同時に、失われてしまった歴史の記録写真でもあるそうだ。

 入江が好んで写した地道、雨の降ったあと、ところどころに水たまりが光り、人々の歩いた跡や自転車の跡が残っている、そんな道を入江は撮り続けた。

 解説を聞きながら作品を鑑賞して、さらにもう一度見て歩いたので、かなり時間がかかった。

 けれども、興味深い解説も聞くことができて、写真家・入江泰吉を知ることができたので、とても良い時間を過ごせた。

 資料室も併設されていて、写真集の図書館となっている。自由に入って閲覧できるので、また来て、ゆっくり写真集を見たい。

 友人と、ほんとうにいい展覧会だったねと話し合った。友人曰く「500円でこんなにいい時間を過ごすことができるなんて」。

 この展覧会は8月27日まで開かれている。