夏バテやら、風邪やらで、お盆の墓参りが16日になってしまった。猛暑で、出かけるのがおっくうだったせいもある。
何しろ、駅から墓まで、影一つない道を20分は歩かなければならない。
両親の介護をしていた時から、スーパーへの買い物帰りに立ち寄っていた珈琲亭が、お盆にもかかわらず開いていたので、ホッとする。久しぶりなので、マスターも喜んでくれた。
たまっていたポイントで、東ティモールの豆100gを購入。コーヒーチケットがちょうど1回分残っていたので、ルワンダのコーヒーをいただく。あの部族同士の争いで、虐殺が起きた国だ。
ルワンダは標高1000~2000mの高原の国で、植民地時代からコーヒーの産地だったが、内陸部で輸送手段がなく、あっても高くつくので、これまであまり市場に出回らなかったのでそうだ。
ルワンダ産のコーヒーを飲むのは初めてだ。スッキリした、パンチのある苦みと酸味がほどよく調和して、暑さを吹き飛ばしてくれる。
あとで、ネットで調べてみると、大量虐殺事件からの復興の過程で、スペシャリティコーヒーの生産に力を入れるようになり、コーヒー栽培に適した気候と、農薬を使わず、有機肥料も使わない自然栽培で、質の良いコーヒーが生産されるようになったそうだ。
小規模農家による栽培で、虐殺で男性が少なくなって、担い手の多くは女性だそうだ。
これを知って、ルワンダの豆も買えばよかったと、残念に思った。
コーヒーで息を吹き返して、墓地に向かう。どのお墓もお参りが済んで、新鮮な花で飾られている。
暑い中、墓の掃除。草抜きをしていると汗がぽたぽた落ちる。花は前日に、弟夫婦が新しく供えてくれていた。
家の宗教は神道だが、祝詞をそらで唱えられないので、いつも般若心経を唱える。
気になっていた墓参りが済んでホッとした。
実家に帰ると、草が生い茂って、とんでもないことになっていた。5月に兄弟で草刈りをしたのだが、夏草の勢いはすさまじい。
せめて、キンカンと、ユズの木を覆っているツル草だけを処分しようと、根元を鎌で切り、枝に絡まっているツルを引きずり降ろすのだが、思ったよりかなり大変だった。
しかも、夏も終わろうとしている時期に、久しぶりに人間が現われたので、やぶ蚊どもが一斉に私の皮膚に群がる。
たまらず家の中に逃げ帰って、腕を見ると、腫れあがって、まるで海のホヤのようになっていた。シャワーを浴び、ホヤのように腫れあがった腕全体に、ムヒを塗る。
それから、気になっていた家の中の掃除。窓を開けて風を入れ、階下と2階と、全部の部屋を、クイックルでほこりを払い、掃除機をかけた。
クーラーを入れずに掃除したので、また汗びっしょりになり、シャワーを浴びる。
そして、最後に、神棚にお参りをした。大きな声で祝詞をあげた。これでスッキリした。
帰り道で、隣の奥さんに会ったので、草ぼうぼうにしていることを詫びた。隣の庭は、草一本も生えないように、いつもきれいにしているので、我が家の草が気になっているに違いない。
秋までに、弟たちに声をかけて、草抜きに来なければと思う。
今回の墓参りで気づいたことがある。
今まで、田んぼを見ると、介護で大変な思いをしていたころを思い出し、胸が苦しくなっていた。
母が大たい骨を骨折して手術した病院に通うときも、周りの田んぼには稲が青々と茂っていたし、リハビリ病院に転院したときも、青々とした田んぼの脇を毎日、病院に通った。
父が、施設に入る前、最後に入院していた病院も、周りは田んぼだらけの、遠いところにあった。
だから、田んぼを見ると、いろいろ思い出されて悲しくなり、胸が苦しくなってくるのだ。
ところが、この日、田んぼをみても、きれいに出そろった稲を、夏の風景として美しいと思って見ただけで、苦しさを感じなかった。
いわゆる介護のPTSDから、解放されたようだった。