阿波池田「禿頭」の酔っ払って候(元福寿司2代目)

ブログ開始9年目、75歳になった。家族、師、友にブログ通じ少しでも恩返しが出来れば幸いなり。

鈴木空如様とARATA(井浦新さん)2

2014年05月20日 23時40分54秒 | 日記
ARATAさんが大河ドラマ「平清盛」で崇徳上皇を演じられたのも
印象に残りました。

「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ」

この歌が崇徳上皇のお歌であるというのを、落語「崇徳院」で知りました。
この落語の舞台が、大阪高津神社の境内です。これが江戸に行くと上野寛永寺が
舞台となります。


高津神社の東に正法寺というお寺がありますが、そこが禿頭のご先祖様の
お墓があり、年に2回ほどお参りをします。大阪の高速環状線”道頓堀”を
おりて5分のところですが、必ず高津神社の前を通りますので、決まって

落語を思い出すのです。

話が大きくそれました、西郷隆盛が山岡鉄舟を評して

その行動力は、「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、
そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない」と賞賛させた。


まさしくその言葉が当てはまる、鈴木空如様ですが、いのちはいらぬとはおっしゃらないでしょう、
仏画が書けなくなりますから。

美男子ですね。

鈴木空如の解説 by NHK

明治から昭和のはじめにかけ、失われゆく古い仏画をありのままに模写し、
後世に伝えようと格闘した仏画師・鈴木空如(1873~1946)。
日清戦争に出征。

九死に一生を得た後、描いた仏画は生涯、五千尊に上る。中でも最大の画業は、
法隆寺金堂壁画12面の原寸大の模写を単独で生涯三度も行っていることだ。
生前の空如は、画壇とは一切かかわりを持たず、展覧会に出品することも
しなかったゆえ、その名はほとんど知られていない。
しかし、昭和24年に法隆寺金堂の火災による壁画の焼損後、にわかに脚光を浴び、
昭和42年に行われた再現模写事業にとって、空如の模写は貴重な資料となった。
近年は、ふるさとの秋田・大仙市が大規模な研究調査を実施、その芸術性が認められ、
再評価が急速に進みつつある。

5月25日(日)Eテレ PM8から再放送があります。

See you tomorrow!
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