ARATAさんが大河ドラマ「平清盛」で崇徳上皇を演じられたのも
印象に残りました。
「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ」
この歌が崇徳上皇のお歌であるというのを、落語「崇徳院」で知りました。
この落語の舞台が、大阪高津神社の境内です。これが江戸に行くと上野寛永寺が
舞台となります。
高津神社の東に正法寺というお寺がありますが、そこが禿頭のご先祖様の
お墓があり、年に2回ほどお参りをします。大阪の高速環状線”道頓堀”を
おりて5分のところですが、必ず高津神社の前を通りますので、決まって
落語を思い出すのです。
話が大きくそれました、西郷隆盛が山岡鉄舟を評して
その行動力は、「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、
そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない」と賞賛させた。
まさしくその言葉が当てはまる、鈴木空如様ですが、いのちはいらぬとはおっしゃらないでしょう、
仏画が書けなくなりますから。
美男子ですね。
鈴木空如の解説 by NHK
明治から昭和のはじめにかけ、失われゆく古い仏画をありのままに模写し、
後世に伝えようと格闘した仏画師・鈴木空如(1873~1946)。
日清戦争に出征。
九死に一生を得た後、描いた仏画は生涯、五千尊に上る。中でも最大の画業は、
法隆寺金堂壁画12面の原寸大の模写を単独で生涯三度も行っていることだ。
生前の空如は、画壇とは一切かかわりを持たず、展覧会に出品することも
しなかったゆえ、その名はほとんど知られていない。
しかし、昭和24年に法隆寺金堂の火災による壁画の焼損後、にわかに脚光を浴び、
昭和42年に行われた再現模写事業にとって、空如の模写は貴重な資料となった。
近年は、ふるさとの秋田・大仙市が大規模な研究調査を実施、その芸術性が認められ、
再評価が急速に進みつつある。
5月25日(日)Eテレ PM8から再放送があります。
See you tomorrow!
印象に残りました。
「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ」
この歌が崇徳上皇のお歌であるというのを、落語「崇徳院」で知りました。
この落語の舞台が、大阪高津神社の境内です。これが江戸に行くと上野寛永寺が
舞台となります。
高津神社の東に正法寺というお寺がありますが、そこが禿頭のご先祖様の
お墓があり、年に2回ほどお参りをします。大阪の高速環状線”道頓堀”を
おりて5分のところですが、必ず高津神社の前を通りますので、決まって
落語を思い出すのです。
話が大きくそれました、西郷隆盛が山岡鉄舟を評して
その行動力は、「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、
そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない」と賞賛させた。
まさしくその言葉が当てはまる、鈴木空如様ですが、いのちはいらぬとはおっしゃらないでしょう、
仏画が書けなくなりますから。
美男子ですね。
鈴木空如の解説 by NHK
明治から昭和のはじめにかけ、失われゆく古い仏画をありのままに模写し、
後世に伝えようと格闘した仏画師・鈴木空如(1873~1946)。
日清戦争に出征。
九死に一生を得た後、描いた仏画は生涯、五千尊に上る。中でも最大の画業は、
法隆寺金堂壁画12面の原寸大の模写を単独で生涯三度も行っていることだ。
生前の空如は、画壇とは一切かかわりを持たず、展覧会に出品することも
しなかったゆえ、その名はほとんど知られていない。
しかし、昭和24年に法隆寺金堂の火災による壁画の焼損後、にわかに脚光を浴び、
昭和42年に行われた再現模写事業にとって、空如の模写は貴重な資料となった。
近年は、ふるさとの秋田・大仙市が大規模な研究調査を実施、その芸術性が認められ、
再評価が急速に進みつつある。
5月25日(日)Eテレ PM8から再放送があります。
See you tomorrow!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます