菅原道真公のつもり。
実は箸蔵寺には重要文化財の天神社があります、天神様(菅公)をおまつりしてある小さな社です。
もともとお寺には、敷地の土地の神様をお祀りする社を建て、災いの無いようお願いします。
明治の神仏分離令により神様と仏様は分離されましたが、箸蔵寺は金比羅大権現さま、不動明王様
それに天神様と共存されています。その理由は長くなるので省きます。
ーーー
最近はこれは私の解釈ですがと断わって、”なぜ天神社がここにある”の疑問の答えを述べています。
他のガイドさんもご住職もおしゃっておられないと思いますがと言いながら。
その前に有名な句、
こちふかば においおこせよ うめのはな
あるじなしとて はるなわすれそ
実は、落語「質屋蔵」で、師匠の桂米朝さんは 最後のはるなわすれそ を はるをわするな
弟子の桂枝雀さんは はるなわすれそ
どっちが本当やねんと疑問に思っていましたが、菅公ははるをわするなと詠んだらしい。
ところが官公が亡くなった後、いろいろな災いごと(火事とか疫病)がおこるので
菅公の怨霊をしずめるため天満宮をたて、そして はるなわすれそ とだれかが
変えたらしい。
ーーー
もとに戻ってなぜ箸蔵寺に天神社があるのかは、
真言宗御室派のご本山は仁和寺さん、仁和寺さんの創建は第59代宇多天皇、宇多天皇が
藤原北家の力を抑えるために、重用されたのが菅公、しかし第60代の醍醐天皇の御代に
右大臣に上り詰めた菅公を藤原の時平が讒訴して、大宰府に。2年後に失意のうちに死去。
崇徳天皇、平将門となるぶ三大怨霊になられた。
仁和寺ー宇多天皇ー菅原道真の線で天神社が箸蔵寺にと、これはあくまでも私の考えです。
こんなことを思いながらガイドを楽しんでいます。