阿波池田「禿頭」の酔っ払って候(元福寿司2代目)

ブログ開始9年目、75歳になった。家族、師、友にブログ通じ少しでも恩返しが出来れば幸いなり。

12月8日はお釈迦様がお悟りをひらかれた日、たまには仏法のことを!!!

2016年12月07日 23時31分13秒 | 仏法
お釈迦様の悟りをひとことで言えば、と青山老師(曹洞宗のフラッグシップの先生)はCDでこう述べられています。

ーーーー

お釈迦様の悟りをひとことで言えば、縁起という言葉で表される、

縁起には2通りあってね、時間的縁起と空間的縁起がある

時間的縁起を無常、空間的縁起を無我といいます。


ーーーー

これを聴いて、うんなるほどとうなづける人は、ある程度仏教学を学んだ人ですね、

多分ほとんどの人はこの部分はオミット(この言葉若い人は使わない?)すると思います。


無常は常に変化してやまないということですので、今のいい状態もしくは悪い状態が

決してそのまま続かないということ、良いことがあればわるいこともある、

いつか変化するということです。河島英五の歌を思い出しますね。


無我とは決して一人では成り立たないということです、生きていくには他の命の

世話にならないと生存できないということです、自分一人で生きているように思っても

実は多くの方や生物によって生かされているということなんでしょうね!

ーーーー

しかし悟りとはそれだけという疑問がありますよね、悟りには表と裏がありますね、

浄土真宗の妙好人さんや禅宗のお坊さんの見性体験をみると凄いなと思います、

決してオカルト的ではなく、どう説明したらいいのか分かりませんが

人智を超えたものがあるような、


ーーーー

同級生に言われました、どうせ人間が考えたことだろうキリスト教も仏教もと・・・

ちがう、アルキメデスの法則やニュートンの法則と同じやで・・・と言っても

むなしく消えてしまって飲み会は続く・・・
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業とはなにか?

2015年10月13日 23時30分26秒 | 仏法
業突く張りとか因業親父とか言う言葉(若い方は使わないかも)の業は

悪いイメージがありますが、業それ自体には本当は良いも悪いもなく

その人の行いを云う言葉です、業すなわち行いと同意語と思っていいと

思います。仏教用語は本来の意味とは違って使われるのが多いと、青山先生の

CDにもあります。

仏教学(唯識)では

五感と意識を合わせた六感(六識)の底に、七識に末那識(無意識、これが自分だと思う

意識)、その奥に八識の阿頼耶識と云うものをおきます。

阿頼耶識は人の奥底にひそんでいるのですが、なにか行いをすると、つまり業を

つくると、阿頼耶識に種子(しゅうじ)として蓄えられます。生まれてから死ぬまでの

行いが種子として蓄えられますので、ときどき過去の良いこと悪いことが

意識にのぼるときがあるというわけです。

現代科学でいうと、DNAのゲノムと解釈しても良いと思います、仏教学が

ヨーロッパでも研究されるのは、インド人の思想の深さが現代科学でも

否定されないからと思います。

この種子は子孫に受け継がれます、まさしくDNAですね、自分の行いが

自分一代で完結しないで、子々孫々に影響を与えるわけです。まさしく

メンデル(?)でしたか遺伝の法則に合致しますよね。

ですから仏教はおもしろいんですが、もう酔いが回ってきました、

to be continued!

つづきものが多くなってだいじょうぶかな?



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祥様へ、前にもお聞きしたと思いますが、どうもよくわかりません!

2015年09月20日 22時57分43秒 | 仏法
道元禅師さまは 佛道を お伝えになった、の部分は素直に入るんですが

最初の部分の

弘法大師さまは 佛法を お伝えになり、の部分が分かりません、

ーーー

仏教大学の仲間で高野山大学卒業後、教員免許をとるため、同じく通信課程を

とっていた、若い青年がいました。彼に、インドの密教は仏教の衰退を何とか

止めようとして、ヒンドゥ経(バラモン経)を取り入れたのだが、逆にヒンドゥ経に取り込まれて

しまい、インドでは仏教がほろんだんですよ、ですから今ではお釈迦さまは

ヒンドゥ経の神様の一人として拝まれている、と伝えたところ、意外な顔をしました。

また、じっと座っていて、なんになると、高野山大学の教授が言って、禅宗を

批判していましたとも、教えてくれました、その方は学者でなくて、真言の僧侶の

方なんでしょうね。仏教大学の先生も仏教学の担当の方は、浄土宗のお寺の

方でした、ですから時間の関係もあったのでしょうが、夏季セミナーでは法然様どまりで、

親鸞、道元、日蓮さまは登場しなかった記憶があります。

ーーー

お大師さまのことを、法相宗、元薬師寺管長の橋本 凝胤様は

新興宗教じゃとおっしゃいました。確かに、護摩をたいたり

加持祈祷をするのは、バラモンの作法ですので、奈良仏教からみれば

納得いかないと思いますが、さすが弘法大師ですね、東大寺の別当にも

なられています、最澄様と大違いです。そんなことはどうでもいいのですが

なぜ禅師は

弘法大師さまは 佛法を お伝えになり、とおっしゃたのか

分かりません、メールでもお教えいただければ、幸甚です。

休みが取れないので、ちょっと困っています。
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天変地異の時代に・・・仏教でいうところの末法の世なんでしょうか!

2015年09月10日 23時24分57秒 | 仏法
災害に会われた方々、そして現実に今被害に直面されている方々に

なんのお役にも立ちませんが、少しでも被害のすくなからんことを

願っております。

鎌倉仏教が興隆しだしたのも、転変地異の時代でした、公家政治から武家政治への

変革の時代でもありました。

法然上人のパトロンが関白九条兼実、兼実の政敵が道元様の父親、内大臣源 通親で

道元様の母上は一時、木曽義仲の正室(?)となった摂政関白の松殿 基房の娘、伊子と

言われています。道元様はご両親を幼少の折に亡くされ、

続きます、仕込みが入りました。

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箸蔵寺のご住職が縁起の理法を分かりやすく説明されていました。

2015年09月03日 00時00分01秒 | 仏法

菩提心30号ー自利と利他(二利双修)ー

2015年8月30日 に seinin が投稿 — コメントはありません ↓


第30号特集.自利と利他(二利双修)(H27.8.30)

○はじめに

以前、ある中学校が箸蔵寺を会場に十四歳になったことを祝う式典を行いました。
十四歳というのは武士の時代では元服の歳、時代が時代ならもう成人の歳であるということで、式典の目的は育ててくれた親に感謝しこれからの人生に対する決意を述べるというものでした。
式典に先立って、生徒達は自分の目標や決意を毛筆で半紙に書いて持ってきて、それを一人ずつ保護者の前で発表するという形をとっていました。

私は式典の後に法話を依頼されていたのですが、この式典を見て、せっかく書いてきた皆さんの書を使わせていただく方法を思いつきました。

○自分のためと誰かのため

「皆さんの書いたものをこちらに持ち上げて見せて下さい。皆さんの書いた言葉は二種類に分けられるんですよ。どういう種類か分かりますか。」

このように私は話しかけました。
生徒さん達の書いた書は大きく二つに分けられました。
一つは「努力」、「夢」、「県大会出場」というような自分を高めていこうとする言葉、もう一つは「思いやり」、「感謝」など誰かのための言葉です。

○二利双修

このような自分を高めていくことを自利(じり)といい、誰かのために何かを行うことを利他(りた)といいます。
どちらも大切なことですが、仏教ではその二つを共に行っていくこと「二利双修(にりそうしゅう)」が必要であると説かれています。

もし誰かが「周りを幸せにしたい」という気持ちを持っていたとしても、それに見合った力をつけていかなければそれは「ただ思っているだけ」です。

反対にいくら自分を磨く努力をしても、それを世の中に返そうという気持ちを持たないのであればそれは「生かされている」ことを理解していない人間です。
人は一人では生きていません。
例えば、仕事をするということは、ゼロから何か一つ職業を選ぶと考えているのかも知れませんが、もし世の中に自分一人しかいなければ、農業であろうが漁業であろうが、職業と呼ばれるものは本来は全部一人でやらなければいけないことです。
しかしながら、今は幸せなことにそのうちの一つ(またはいくつか)を懸命にやることにより、自分で全てをやらなくてもいい世の中に生かされています。
そういう世界の一員として存在しているということ、それに気づけば感謝の心、利他の心は自然と生まれてくるはずです。

このような話をした後、私は生徒の皆さんに、

「自分を高める言葉を書いた皆さんは、次は誰かのための言葉をもう一つ考えて下さい。そして、誰かのための言葉を書いた皆さんは自分を高める言葉をもう一つ考えてみて下さい。そしてその二つをこれからの目標に頑張って下さいね。」

と、お願いしました。

○おわりに

この話には続きがあります。
生徒さんの中にただ一人だけ自利と利他の両方の意味を持つ言葉を書いた女の子がいました。
それは「笑顔」という言葉です。

「笑顔っていい言葉ですね。いつも笑顔でいようという気持ちはきっと貴方を成長させるし、貴方の笑顔を見た周りの人も幸せな気持ちになりますね。」

と語りかけると、その少女は恥ずかしそうに、それでいて見ている私まで優しい気持ちになれる素敵な笑顔を返してくれました。

(以上)
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禅の公案修行と只管打座 4

2015年08月31日 23時06分17秒 | 仏法
つん様の焼きさんま、頭と尻尾は焦げてなくて、身の部分がこんがり、とても美味しそうでした。

やっぱりさんまは塩焼きですね、子供の時は、開きのさんまばかりでしたね、それでも

母親が焼いたさんまは美味しかった・・・母親は91歳、ちょっと足が弱ってきましたが

元気です、さんまから母親が恋しくなりましたね。

ーーー  さて


実は、武者さんの本を読むように勧めてくれたのは、初めての職場の先輩で2歳ぐらい年上の

豊田さんでした、下のお名前は忘れました、すこしタイプの違う方でしゃべり方は女性ポイ方でした。

退庁時間が来ると、みんなと話をしていてもさっさと帰られるし、それにかなり潔癖な方でした。

豊田さんの影響か武者さんにはまってしまい、休みの日には、神田の古本屋さんに行き、

読んだことのない武者さんの本を集めて、豊田さんに見せたものです、終いには豊田さんが

知らない本まで見つけ、豊田さんより武者さんの本を読んでいるようになりました。

そんなある日、ドカンが来ました、(見性体験としか思えない)夜中の1時か2時だったのですが

ほとんど寝ることが出来ないで出勤して、豊田さんに会いました。一言二言話すと

にこにこしながら、君も来たかと言うようなことを言われました。豊田さんはドカンの体験者だったんですね、

竹村牧男学長も言われていますが、悟り(この場合は見性体験)の経験者は他の者が経験者かどうか

分かると、ですから公案にたいし、弟子が回答(見解)をした場合出来ているかどうか

すぐわかるということです。


しかしその日のうちにまた普通に戻ったので、あれは一体なんだったんだろうかで

一生頭の隅に残っており、いつまでも自分を支配続けているようです。

豊田さんの態度が変わり、一緒に2人で旅行に行こうとまで言われました、結果青森の

浅虫温泉に行ったのです。なんでそこになったのかさっぱり分かりません、ただ東京以北に

それまで行ったことがなかったので、多分同意したんだと思うのですが、

男2人で浅虫温泉ちょっと今思うと変ですね、武者さんファンクラブの2人ですから

話は尽きない、宮崎のあたらしき村に仕事やめて行きたいなと言うと、豊田さんは

その気全然なかったみたいです。でもそのご豊田さんとは2人切りの旅行は

行きたくなくなりました。だってお酒類は飲んじゃだめ、女性に話し掛けてもだめ、

浅虫温泉には若くてかわいい女中さんがいてなにか誘ってくれているようだったのに、

豊田さんは拒否するんだもの・・・参りました。でもよく思い出すものですね。

続きます。

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禅の公案修行と只管打座 3

2015年08月28日 20時02分51秒 | 仏法
なんの因果で当時外道の禿頭(当時は白馬の王子さまでしたが)に、見性体験(としか思えない)が

現れたのか、普通なれば、公案修行なり只管打座の雲水さんに現れるべきものなのに。

玉城康四郎先生の初めての体験は、東大の図書館で華厳経の十地品を読まれているときに

ドカンときたと書かれています。先生と比べるのは誠にお恐れ多いことですが

私は、当時、武者小路実篤さんにはまっていた時でして、武者小路さんの

本を読んでいるときにドカンときました。その時にもっと調べておけば

また違った道に進んでいたかもしれませんが、お金を稼がなくてはならない

切羽詰まった現実が押し寄せてきまして、本を読むことが出来るのはトイレのなかだけという

環境でした。

ーーー

仏教学によれば(青山先生のCDを引用します)

お釈迦さまがお悟りになられたのは、一言で言うと「縁起」ということになります。

縁起には2通りあり、時間的縁起と空間的縁起があり、時間的縁起を別の言葉で

無常 空間的縁起を無我といってもよいそうです。

無常とはすべて物は変化してやまないということで、永遠に変化しないものはないということです。

無常だから子供は大人になり、大人は歳をとって病を得て、死に至ります。

無常は決して悪いことではなく、悪いとか良いとかの範疇には入らないということです。

また無我は決して一人では存在出来ないということです、物事はなにかの関連性があって

存在し、単独では存在しえないということだそうです。

ーーー

見性体験を悟りの体験とするならば、お釈迦さまのお悟りになられた「縁起」とどう

関連づけられるのか、今はわかりません。道元様の只管打座により、身心脱落の境地は

見性体験でしょうし、公案修行にて境地を高め、霊雲桃花(中国の霊運は山道を歩いていて、

里の桃の花をみて悟った)香厳撃竹(香厳が墓の周りを掃除していて小石が竹に当

たりその音で悟った)のように悟ったのも見性体験といえるのではないかと思います。

このお二人のお話は、道元様が好んで引用されたそうです。

青山先生は、冗談ぽく、新幹線で山梨を走っているとき、桃の花を見ますが

誰でも桃の花を見て悟ったり、竹の音を聞いて悟れれば、

苦労はありませんわ、と金光寿郎さんと話をされていました。

続きます、明日はお休みで大阪へ墓参りにまいります。




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禅の公案修行と只管打座 2

2015年08月27日 23時33分32秒 | 仏法
1回目の見性体験は悟りの入り口だということが分かってきました。

禿頭は1回目(嬉しくて涙が止まらなかった経験があります)

以降その体験をしていないというより、なにがなんだか

分からなくて50年近くたってしまった。華厳経の十地品のなかに

(1)初歓喜地 (禿頭注:初めての体験で歓びが沸き上がるということ、禿頭の

体験と一致します) (見性、脱落、宗教体験が十地経の始まり)とあります。

故玉城康四郎先生(東大教授)の本に若い時に出会っていれば、

違った道を歩いていたのに!

以下玉城先生の本より



「悟りを開くという言葉はあまり適当ではありませんが、目が覚めた所から、宗教体験をしたところからこの十地は始まっています。。。原始仏教のブッダの悟りの光景からいうと、ダンマが私自身にあらわになって、一切の疑いが消滅した所からこの十地品ははじまるのです。

禿頭注:道元様の身心脱落



ダンマというのはまったく形を離れた純粋生命です。。。すなわち如来、あるいは如来の生命です。如来の生命は目にはみえないけれども、そのみえない生命が私自身にあらわになる。そのあらわになった時に、私自身は人間と言う地盤をこえて如来の家にうまれる。それが歓喜地です。つまりそういう目覚めの宗教体験を得て、うれしくて仕方がない、歓喜にあふれて仕方がない境地、それが歓喜地という事です。。。



世間をこえて如来の家に生まれるということは、自分自身のよりどころであるだけではなく、いっさい衆生のよりどころとなるということです。いいかえれば自利利他の根拠がここに確定したということです。そして菩薩はそれをよりどころとしてさまざまな願を起こして、仏道修行にいそしむのです。ですから目覚めと言う宗教体験が終りではなくて出発点であるというところに十地経のきわだった特長を見る事が出来ます。。。



つまり最初の歓喜地において、凡夫地を越えて如来の家に生まれた者が、再び人間の世界に帰って来て、そこから最も基本的な修業を始めていくのです。。」              



p。94-6悟りの風光-華厳入門 (玉置)

ーーー
今日も深酒!!!予約が少ないのも困ったもんだは・・・
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piri☆様 つん様 お元気そうで安心しましたよ!で、禅の公案修行と只管打座。

2015年08月26日 22時17分12秒 | 仏法
NHKこころの時代 日本仏教のあゆみ 第5回で、竹村牧男先生の話から

気づきがありました。(録画を3回見ました、実は途中で酔いの精で寝てしまうからなんですが)

今回は禅宗を取り上げておられます。

臨済宗では「公案修行」というのがあります、有名なのは、夏目漱石が鎌倉円覚寺の

釈 宗演管長より「父母未生以前の本来の面目如何」の公案をさずけられますが

漱石は答えることが出来なかったとのこと、では道元様はどう言われていると言いますと

「本来の面目を詠ず」『傘松道詠』のなかに

「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪きえで すずしかりけり」とあります。

下記は

なるほど法話 海潮音 様より

道元禅師の『普勧坐禅儀』には、身心脱落のときに本来の面目が現前すると説かれますし、『宝慶記』には道元禅師のお師匠様である如浄禅師が、身心脱落とは柔軟心(にゅうなんしん)のことだと説かれますから、柔軟心のとき本来の面目が現前すると理解できます。

その柔軟心について、橋本恵光老師は何事にも一如できる心が柔軟心であり、そのとき本来の面目が現前すると説かれます(『普勧坐禅儀の話』)から、これを受けて問題の一首を考えますと、

「春には花、夏にはほととぎす、秋には月、冬には雪、これらはそのままで実にさわやか(すずし)であるが、それらに対してどうこうあって欲しいというこちらの思いを出さず、それらのあるがままを受け取ることができれば、こちらの心もさわやか(すずし)でわずらいがない。そこに本来の面目が現前しているといえよう」となりましょうか。 (平成19年4月)

ーーー

禿頭注:本来とはすべての命、若しくは仏、仏性を指し、面目とは姿、形をいいます、
    すなわち大自然の力の姿、形言い換えれば仏のおんはたらきです。青山先生のCDの意訳です。

続きます、今週はご予約が少ないので飲みすぎかな?
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衛門三郎から禅の風そして奇皇后と続きました、こんなこともあるんですね!

2015年07月22日 22時00分00秒 | 仏法

四国88カ所参りをご存知の方は、衛門三郎のお話もご存知と思います、先日の箸蔵寺さんの

ページにも登場いたしております。

ーーーー衛門三郎とはーーーー

wikipediaより

天長年間の頃の話である。伊予国を治めていた河野家の一族で、浮穴郡荏原郷(現在の愛媛県松山市恵原町・文殊院)の
豪農で衛門三郎という者が居た。三郎は権勢をふるっていたが、欲深く、民の人望も薄かったといわれる。あるとき、
三郎の門前にみすぼらしい身なりの僧が現れ、托鉢をしようとした。三郎は家人に命じて追い返した。翌日も、
そしてその翌日と何度も僧は現れた。8日目、三郎は怒って僧が捧げていた鉢を竹のほうきでたたき落とし
(つかんで地面にたたきつけたとするものもあり)、鉢は8つに割れてしまった。僧も姿を消した。
実はこの僧は弘法大師であった。

三郎には8人の子がいたが、その時から毎年1人ずつ子が亡くなり、8年目には皆亡くなってしまった。
悲しみに打ちひしがれていた三郎の枕元に大師が現れ、三郎はやっと僧が大師であったことに気がつき、
何と恐ろしいことをしてしまったものだと後悔する。


三郎は懺悔の気持ちから、田畑を売り払い、家人たちに分け与え、妻とも別れ、大師を追い求めて四国巡礼の旅に出る。
二十回巡礼を重ねたが出会えず、大師に何としても巡り合い気持ちから、今度は逆に回ることにして、巡礼の途中
、阿波国の焼山寺の近くの杖杉庵で病に倒れてしまう。死期が迫りつつあった三郎の前に大師が現れたところ、
三郎は今までの非を泣いて詫び、望みはあるかとの問いかけに来世には河野家に生まれ変わりたいと託して息を引き取った。
大師は路傍の石を取り「衛門三郎再来」と書いて、左の手に握らせた。天長8年10月のことという。

翌年、伊予国の領主、河野息利(おきとし)に長男が生れるが、その子は左手を固く握って開こうとしない。
息利は心配して安養寺の僧が祈願をしたところやっと手を開き、「衛門三郎」と書いた石が出てきた。
その石は安養寺に納められ、後に「石手寺」と寺号を改めたという。石は玉の石と呼ばれ、寺宝となっている。


ーーーーー

この説話ですと、お大師さまは、やられたらやりかえすという極めて人間臭いですね、

良いことされたら良いことで、悪いことをされたら悪いことで相手にお返しする、

衛門三郎は、お大師さまさまに”しっぺ返し”されたと思ったんですが、この しっぺ返しの意味が

和尚様からいただいた、「禅の風」44号に”しっぺい”の写真と説明が載っていました。

ーーーーー


NETの語源由来辞典より



ーーーーー

これで衛門三郎と禅の風と進み最後の奇皇后です。

先週の日曜日、和尚様に禅の風いただいで、綾川イオンの駐車場で”しっぺい”の写真と記事を読んで

その晩の奇皇后では、主人公のキヤンが、皇帝より罰として、お寺で毎日”しっぺい”にて100回

打たれる刑を言い渡されます。

もし、禅の風を読んでいなければ、柳に風状態でスルーしていたと思いますが、・・・

知らなければそれまでですが、知ったお蔭でよりTVが楽しめたのではないでしょうか、

知る楽しみ、真似る楽しみ、事にあたっては真っ直ぐに向かう楽しみ、

有難いと思います。

合掌

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