無相庵様のホームページより拝借(大谷國彦様)
山田無文老師のご紹介

明治33年~昭和63年(1900年~1988年)
臨済宗、京都五山、妙心寺派26代官長。
愛知県出身。学生時代、川口慧海に師事し、静岡県細江町金胤地院の河野大圭和尚につき得度。
妙心寺僧堂を経て天竜寺僧堂にて関精拙老師に嗣法する。妙心寺山内霊雲院住職、
神戸祥福寺僧堂師家を勤め、花園大学学長勇退後、昭和53年、妙心寺派官長となる。
通仙洞と号した。
一般の方々がどれ程山田無文老師をご存知か分かりませんが、禅界では明治以降では稀代の名僧だと
言われているとお聞きしたことがあります。
それは、大学の学長もされ、また一般人を対象としたご法話も数多くこなされ、ご著書も多いと言う事が、
そう言う評価に結び付いているものと思いますが、 話術の素晴らしさも大いに寄与していると思います。
落語家がその話術を勉強したと言うような逸話もございます。最初は、なかなか聞き取り難い弱い声で、
聴衆に耳を傾けさせ、徐々に声が大きくなって行き、喩えの人物に成り切っての発言は、
真に迫るものがありました。
見性の無い、即ち、悟りの無い坐禅は意味が無いとまで言われ、
ただ坐れば良いと言うものではないとはっきり言われた事が印象に残っています。
ここが道元様とのおおいなるちがい(臨済宗と曹洞宗の)です。
鈴木大拙翁も見性の無い、即ち、悟りの無い坐禅は意味が無いとまでおっしゃていたと
思います。
禿頭のような門外漢がいうのもおこがましいのですが、
見性体験は自分でしようと思って出来るものではありませんね、道元様の百不当千不当一老の
通り常に求め続けるというか、求め続けないで求めるのを持続することにより、突然むこうから
やってくるものだしょう、きょうげんのぎゃくちく、しもんぜんじのけんとうか(字がわかりません)
青山先生は、竹に石が当たった音を聞いて誰でもさとれるものではない、桃の花を見て誰でも
悟れれば苦労はしませんと、TVでおっしゃていました。
玉城庚四郎先生や立花隆様は、アポロ宇宙飛行士の船外体験が見性体験であるという意味のことを
言われておりました。禿頭の体験が見性体験といえるなら、その瞬間はまさしくまっ黒闇の中に
ただ一人ですが、まさしくTVで観る宇宙そのものの中にいる感覚でした、
気が付くと大きな喜びにつつまれ、まさしく華厳経の十地品の第一地の
初歓喜地 (見性、脱落、宗教体験が十地経の始まり)
の通りでした。ただその時は何が起こったのか理解出来ませんでした、30年後に玉城先生に
教えられることになったのですが、もっと早く知っていれば、どうなっていたのでしょうかね?
禿頭は偉い修行僧のように励んではいなかったのですが。むこうからくる、これを
如来(真如からくるもの)というのですね!