阿波池田「禿頭」の酔っ払って候(元福寿司2代目)

ブログ開始9年目、75歳になった。家族、師、友にブログ通じ少しでも恩返しが出来れば幸いなり。

きらら大正でのおはなし、パート7

2014年07月01日 23時59分24秒 | 仏法



本山和尚様は抗腫瘍薬で、ゲェゲェいいながらも

宮崎禅師様がおっしゃた言葉

“あのなぁー病気のことは医者にまかせい、

体のことはなぁーまわりのもんにまかせい

気持はなぁーほとけさんにまかせい“

が頭に浮かびます。そして

治療が功をそうして平成10年2月に退院されます、

その間に20kほど体重がへります。

さぁーどうする!



ーーーーー

「それでもやっぱりね、縁があればいのちって永らえるんですね、

じょうみょうという言い方があります、定まった命、人間一人一人に

生まれた時にもう決まった命の長さががあるんだよ、どんなに生きたい

生きたい長生きしたいと思って、健康診断してみたり、さまざまな薬を

飲んでみても、交通事故にあって亡くなる人もいるよ、どんなに

暴飲暴食しててもタバコ吸っててても100までいきる人もいるよ、

人それぞれの持って生まれた命の長さがあるように、これを定命と

言います、そんな定命であればこそ、授かった命ですから大事にして

くださいね、自分がいううんだったらいんですけど、お医者さんに

授かった命ですから大事にしてと、ほんと言われるとは夢にも

おもわなっかたんですが、

”授かった命ですから、大事にしてください、宝くじに当たったような

もんですから大事にしてください。”そこまで言う必要ないだろうと

思ったんですが、皆さん宝くじですよ。」


「坐禅会に来る若い女の子でね、ようーく当たる子がいるんですね、懸賞に。

その子がね”和尚さん懸賞に当たるのもしあわせなんだったら、

しあわせの総量って決まってるんでしょうか?”」


「しあわせの総量つまり自分がもらえるしあわせの分量ですね、

自分がもらえるしあわせの分量ってきまってるんでしょうかね、

“そんなことはないさ”なんて答えようかと思ったんですが、

考える間もなく口からでた言葉が“そんなことないよ”」

「しあわせというのと、いいことというのを我々はつい勘違いをします、

いいことがあったというと、あらしあわせねというんですけどね、

いいことがあったというのは、自分の気に入ったことがあったということです

、不幸なんだよ、あら不幸、というときってね、自分の気に沿わないこと、

自分の気持ちにあわないことを不幸といいがちなんですがね、

ただそれはちがいます、と私は思っている」

「いいこと悪いことと言った方が分かりやすいかもしれません、

自分の気に入っていること気に入らないことが、幸不幸なんじゃない、

いいこと悪いことというのは自分の物差しなんですね、

自分の物差しでいいことと悪いことを決める。じゃあーしあわせてなに?」

「懸賞にあたった、やったラッキーこれしあわせか?決してそんなことは

無いですね、しあせて何かというと、ありがたいということだと思うんです、

よかった、ありがたい、ありがたいなぁと。ありがたいって何かというと

感謝ですね、ありがたいなと思ったら、ありがたいを自分のものだけに

しちゃちゃだめなんですね、自分がありがたいと思ったら、それを誰かに

バトンタッチしていくことが大事なんですね、恩送りという昔からの

言い方があります、恩返しじゃないんですね、恩返しというと、いただいたものを

その人に返すのを恩返しです、恩返しの本当のとこというと

恩をその人に返すのではなくて、自分がうけた恩はみんな誰かに他の誰かにお裾わけを

していく、これが本当の恩返しなんだろうなぁ・・・」

「お裾わけをしてもらった人は、笑顔でありがとうと返してくれます、その時自分が

しあわせになれるんですね、だから、しあわせの総量てそれは感謝の総量なんだな、自分が

どれだけしあわせになるかな、それはどれだけありがとうと言えるかな、ありがとうと

いいながら、恩送りができるかな、そう考えると、しあわせには限界がないんですね

ありがとう、ありがとうと死ぬまでありがとうと言ってたらね、どんなけのしあわせが

つまっているでしょうか」

ーーーーー

あと1回で終わりそうです。

See you tomorrow!
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