大石さんは、右手しか動かないという現実とマヒが
全身を襲うのとで、自殺を2度こころみられます。
しかし病院のなかですので命は助かります。
その頃の心境を語られています。
ーーーーーhttp://h-kishi.sakura.ne.jp/index.htmlよりいただきました。-----
金光: それでも病院では直ぐ処置されるから、その後はどういうふううにお感じになりましたですか。
やっぱり生きなければいけないと直ぐ思いたわけですか。
大石: 私はその時に初めて、ほんとに親が生きていることを望んでくれていた、ということ知ったんですよ。
それまでは、口ではあんなことを言っているけれども、ほんとはお金ばかりかかり、治る見込みがないのなら
死んでくれた方がいいと思っているんじゃないだろうか、という思いがいつもあったんですね。
それでいくら優しくされても、素直になれなくて、父や母につらく当たっていたことが長いんですね。
でも、その自殺に失敗したと言うか、助けられちゃった時に、またこれは薬物によって焼かれる苦しみというのは、
また別なんですよ。もうガソリンを飲み込んで、お腹の中で火を付けられたような感じなんですね。
もう内蔵がみな音を立てて燃えて、口からは炎が吹き出すという感じなんですよ。
金光: 地獄の業火に焼かれたようなものですね。
大石: 薬物に焼かれるというのはそういうものですね。意識が返った時に、目の前に父の顔があって、
家の父って、いつも綺麗に白髪を梳(と)かしていて、そういう人だったんですが、落ち窪んだ目をして
、髪はボサボサで、その父が朧気な視野の中でぼおっと大きくなって、その父が私の両方のほっぺたを
ピタピタピタピタ叩きながら「生きなくちゃダメなんだ、ダメなんだ」と。「お父ちゃんの為にも、
お母ちゃんの為にも生きなくちゃダメなんだ。分かるか、分かるか」と言いながら、私のほっぺたを
両手でピタピタピタピタ叩きながら涙をこぼしたんですよ。私が見た父の涙というのはそれが初めてだったんですね。
ああ、こんな私でも、親は一生自分の背に背負っていかなくちゃならないような娘でも生きていて欲しいと、
ほんとに思っているんだなあって、その時思ったんですね。こんな思い、誰にも分からない。
私の苦しみなんか誰にも分からないと思っていたんだけれども、命ってそういうものではなかったのかも
知れないって。で、父とか母とか兄弟とか、爺ちゃん、婆ちゃんも私にはいませんでしたけれども
、親友とか恋人とか、そういう命というのは、こうお互いに噛み合いながら、こう深く繋がっていて、
その中の一つが傷付くということは、噛み合っている命がみな同時に傷付いてしまうということなのかも知れない。
金光: 自分一人のものではなかった、命は。
大石: そういうものだったんだなあって、初めて気付かされたと言うか、私は自分で自殺を計った時に、
自分が苦しいから逃げたい気持もありましたけど、私が生きていることで、妹は大学をお金が続かなくて
止めざるを得なかったり、母はガンの病み上がりなのに、苦しい中で私に接したりしていたから、
そういう中で母ぐらいは、少しは私が居なければ楽になれるんじゃないかなあという気があったんですけれども
、その母は私が大量の薬を飲んだという知らせを受けた時、病み上がりだったものですから、
心筋梗塞(しんきんこうそく)という症状を起こしちゃってね。既に別の病院に収容されちゃっていたんですよ。
そういう父と母の姿を見せられた時に、親って悲しいなあと、その時に思って、親というのは、
どんなに出来の悪い子でも、生涯自分の肩に背負っていかなければならないような子でも、
生きていて欲しいと思うものなんだなあということを、その時初めて、そういう命の絆みたいな、
命が繋がっているという、愛も苦しむんだと。命を結ぶ、愛そのものが苦しみ、愛そのものが悲しむものだったという
、愛の概念というのが大きく変わっちゃって、愛と言うと、普通、よく使われる愛するとか、
l love you の愛とかという感じて捉えていたけど、愛というものはそういうものではなかったという思いが、
金光: 今おっしゃるような愛だとなんか自分に都合のいい時にはスムーズに働くけれども、
ちょっと具合が悪くなると、それが愛が憎しみに直ぐ変わるような、そういう感じもありますけれども、
そういう我執の匂いが強いのが。しかし、ほんとの命のギリギリのところになると、自分とか、
他人とかという区別のないところで繋がっている命で働くわけですね。そこではまだ、
先程も言いましたが、その苦難と言うか、自分がこういう苦しみという目に遭うのが、どういう意味がある。
それを自分で認めるというか、それはなかなか難しいでしょう。命なんかまだピンとまだ、
大石: 全然来ませんでした。今はなんか、「苦しみが苦しみによって救われる」という言葉、ヨブ記の中にありますね。
「苦しみは苦しみによって救われる」という言葉はほんとだったと、今は思いますよ。私は。
やはり一つ一つが先ず身動きが出来なくなって、寝返りが出来なくて、手も足も自由に動かなかった
長い時代がありましたから、先ず寝返りが出来た喜び、畳半分位の世界が、寝返りうてるようになると、
畳二枚の世界が広がって来ますよ。これはほんとに自分の世界が倍に広がるわけですから、
金光: それはそうですね。
ーーーーー
It will continue tomorrow also.
全身を襲うのとで、自殺を2度こころみられます。
しかし病院のなかですので命は助かります。
その頃の心境を語られています。
ーーーーーhttp://h-kishi.sakura.ne.jp/index.htmlよりいただきました。-----
金光: それでも病院では直ぐ処置されるから、その後はどういうふううにお感じになりましたですか。
やっぱり生きなければいけないと直ぐ思いたわけですか。
大石: 私はその時に初めて、ほんとに親が生きていることを望んでくれていた、ということ知ったんですよ。
それまでは、口ではあんなことを言っているけれども、ほんとはお金ばかりかかり、治る見込みがないのなら
死んでくれた方がいいと思っているんじゃないだろうか、という思いがいつもあったんですね。
それでいくら優しくされても、素直になれなくて、父や母につらく当たっていたことが長いんですね。
でも、その自殺に失敗したと言うか、助けられちゃった時に、またこれは薬物によって焼かれる苦しみというのは、
また別なんですよ。もうガソリンを飲み込んで、お腹の中で火を付けられたような感じなんですね。
もう内蔵がみな音を立てて燃えて、口からは炎が吹き出すという感じなんですよ。
金光: 地獄の業火に焼かれたようなものですね。
大石: 薬物に焼かれるというのはそういうものですね。意識が返った時に、目の前に父の顔があって、
家の父って、いつも綺麗に白髪を梳(と)かしていて、そういう人だったんですが、落ち窪んだ目をして
、髪はボサボサで、その父が朧気な視野の中でぼおっと大きくなって、その父が私の両方のほっぺたを
ピタピタピタピタ叩きながら「生きなくちゃダメなんだ、ダメなんだ」と。「お父ちゃんの為にも、
お母ちゃんの為にも生きなくちゃダメなんだ。分かるか、分かるか」と言いながら、私のほっぺたを
両手でピタピタピタピタ叩きながら涙をこぼしたんですよ。私が見た父の涙というのはそれが初めてだったんですね。
ああ、こんな私でも、親は一生自分の背に背負っていかなくちゃならないような娘でも生きていて欲しいと、
ほんとに思っているんだなあって、その時思ったんですね。こんな思い、誰にも分からない。
私の苦しみなんか誰にも分からないと思っていたんだけれども、命ってそういうものではなかったのかも
知れないって。で、父とか母とか兄弟とか、爺ちゃん、婆ちゃんも私にはいませんでしたけれども
、親友とか恋人とか、そういう命というのは、こうお互いに噛み合いながら、こう深く繋がっていて、
その中の一つが傷付くということは、噛み合っている命がみな同時に傷付いてしまうということなのかも知れない。
金光: 自分一人のものではなかった、命は。
大石: そういうものだったんだなあって、初めて気付かされたと言うか、私は自分で自殺を計った時に、
自分が苦しいから逃げたい気持もありましたけど、私が生きていることで、妹は大学をお金が続かなくて
止めざるを得なかったり、母はガンの病み上がりなのに、苦しい中で私に接したりしていたから、
そういう中で母ぐらいは、少しは私が居なければ楽になれるんじゃないかなあという気があったんですけれども
、その母は私が大量の薬を飲んだという知らせを受けた時、病み上がりだったものですから、
心筋梗塞(しんきんこうそく)という症状を起こしちゃってね。既に別の病院に収容されちゃっていたんですよ。
そういう父と母の姿を見せられた時に、親って悲しいなあと、その時に思って、親というのは、
どんなに出来の悪い子でも、生涯自分の肩に背負っていかなければならないような子でも、
生きていて欲しいと思うものなんだなあということを、その時初めて、そういう命の絆みたいな、
命が繋がっているという、愛も苦しむんだと。命を結ぶ、愛そのものが苦しみ、愛そのものが悲しむものだったという
、愛の概念というのが大きく変わっちゃって、愛と言うと、普通、よく使われる愛するとか、
l love you の愛とかという感じて捉えていたけど、愛というものはそういうものではなかったという思いが、
金光: 今おっしゃるような愛だとなんか自分に都合のいい時にはスムーズに働くけれども、
ちょっと具合が悪くなると、それが愛が憎しみに直ぐ変わるような、そういう感じもありますけれども、
そういう我執の匂いが強いのが。しかし、ほんとの命のギリギリのところになると、自分とか、
他人とかという区別のないところで繋がっている命で働くわけですね。そこではまだ、
先程も言いましたが、その苦難と言うか、自分がこういう苦しみという目に遭うのが、どういう意味がある。
それを自分で認めるというか、それはなかなか難しいでしょう。命なんかまだピンとまだ、
大石: 全然来ませんでした。今はなんか、「苦しみが苦しみによって救われる」という言葉、ヨブ記の中にありますね。
「苦しみは苦しみによって救われる」という言葉はほんとだったと、今は思いますよ。私は。
やはり一つ一つが先ず身動きが出来なくなって、寝返りが出来なくて、手も足も自由に動かなかった
長い時代がありましたから、先ず寝返りが出来た喜び、畳半分位の世界が、寝返りうてるようになると、
畳二枚の世界が広がって来ますよ。これはほんとに自分の世界が倍に広がるわけですから、
金光: それはそうですね。
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