阿波池田「禿頭」の酔っ払って候(元福寿司2代目)

ブログ開始9年目、75歳になった。家族、師、友にブログ通じ少しでも恩返しが出来れば幸いなり。

難解な沢木興道老師の おことば

2014年06月10日 19時46分59秒 | 仏法
青山先生のお師匠様”沢木興道老師”のおことばです。痛快ではあります。

「仏道とはよそ見せんこと。そのものにナリキルことである。これを

三昧といい、紙管という。

 飯をくうのはクソをするためでない。クソをするのはコヤシをつくる

ためでない。ところがこのごろは学校にゆくのは、上の学校へゆくため、

上の学校へゆくのは、就職するためと思うておる」

ーーーーー

沢木老師のおことばは易しい日本語ですので、意味は分かりますが

自分自身に当てはめては実行出来ない、難解という言葉は適切では

ありませんが、言付け仏法になってしまう自分があります。

お弟子の内山興正老師の解説書が手に入りました。その一部を

紹介します。

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私が先生ならこういいたいと思います。

君たちは何もいい点をとらなくてもいいんだ。いい学校へ入る必要もない。

中略

「スミレがスミレの花ではつまらぬ。ぜひともバラの花を咲かせなけりゃ」と

頑張る必要はない。しかしスミレがスミレの花を咲かせることもできぬようでは、

生命を腐らせてしまうことで、それではつまらぬ。

中略

 それでつまりこういうことになる。決していい点を取るために勉強するのではなく、

ただ今の勉強の時間は『今の勉強の時間として精一杯の花』をさかせればいいんだ。

授業時間中に居眠りをしたり、マンガ本を見ていたり、早弁当食っていては、今の

授業時間の花は咲かない。しっかり目をあけて教科書を見、先生の話を注意して

聞き給え。

ーーーーー

もう一つ沢木老師のおことばです。

「サトリとは泥棒が空家へ入ったようなものじゃ。入ってみたものの盗るものがない。

逃げなくてもいい。 追いかけてくるものもない。---だからはなはだモノタリナイ」


禿頭はよくわかりません、内山老師の解説を読んでも・・・

See you tomorrow!
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