阿波池田「禿頭」の酔っ払って候(元福寿司2代目)

ブログ開始9年目、75歳になった。家族、師、友にブログ通じ少しでも恩返しが出来れば幸いなり。

一粒の米もし死なずば 2

2014年04月05日 23時02分49秒 | 仏法
昨晩の続きです。

2つのソロバンを必要とする意味がはじめて彼にもわかります。
提宗和尚の言葉はさらに烈しくなります。

「米のありがたさを知らない者は、生きていることのありがたさを知らない。
生きていることのありがたさを知らない者は、生きるねうちのない人間だ。迷うのが
当然だ!」

提宗和尚の痛罵が、幽学の心胆をふるえさせますが、このことが、幽学に自己の眼を
開かせるとともに、貧しい農民にために力を尽くす実践家としてのスタートを切らせる
のです。

”一粒の米”の重さに心して、洗米炊飯係りの禿頭も仕事をしようとするのですが、すぐ
忘れてしまい、お米を流してしまいます、お米だけではないのです、全てが仏の展開と
自覚すれば、自ずから出来るはずですが、そこに参るには・・・
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