月下の走術師のいつでもスポーツカーに乗ろうと思う

確かに自分で選んだ以上、精一杯生きる!

再び煽り運転に遭った

2024-03-15 | クルマとドライブ


先月末に煽り運転に遭ったと記事にしましたが今日も煽り運転に遭いました。とある住宅街で先方は左折(当方は右折)でしたので先に行かせたのですが遅かったので見通しの良い直線で追い越したら速度を上げて追いついてきます。明らかに私のクルマに追いつこうとしている始末..。前回もそうでしたがこの手の煽り運転車(者)はたまたま2台がそうであっただけかもしれませんが車両が軽自動車で年齢はどう見ても70代以上のような気がします。そう、よく事故を起こしてニュース沙汰になる世代! 彼らはかつて団塊の世代と呼ばれた世代ですので抜かされると闘争心に火が付くのかもしれませんね。

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キヤノンT90を覚えているか

2024-03-14 | 写真とカメラ


フイルムカメラはもう買い取りに出しても二束三文ですのでコレクトすることに決めています。キヤノンのそれはメジャーな機種は揃えたのですがT90だけありませんでした。1986年登場ですから既に世の中にはミノルタのα-7000が発売されていてキヤノン初のAF機T80は全く歯が立ちませんでした。そりゃMF機のTシリーズにとってつけたようなAFレンズを装着して使うのですから試作機のようなものです。

T90はざっくりAF機(EOS600シリーズ)を完成させるまでのリリーフでしたがレンズがMF以外は現代のデジタル一眼と比べても遜色ないレベルではないでしょうか。ただ価格はフラッグシップ機のNew F-1並に高かったのでプロやハイアマチュアに買われていたみたいです。当時の私はカメラには全く興味がなかったので雑誌も買っていなかったしカタログも集めていませんでした。テレビCFでAKIRAというか大友克洋氏のアニメがやっていたことは覚えています。

T90の性能機能は勿論ですがデザインが素晴らしいです。原型はルイジ・コラーニ氏の制作ですが発売に当たって社内で手直ししてこのようになったとのこと。以降キヤノンはフラッグシップ機にはこのデザインをアレンジして使っていることからよほど気に入っているのでしょう。でもオリジナルが一番でEOS-1~EOS-R1?に至るまでデザインは劣化しているような..。なんとなくスター・ウォーズのダース・ベイダーの頭部に似ている点も好きです!その後は他社も真似し始めて今はもう皆似たようなデザインになってしまった弊害もあります。

今のカメラは性能機能は殆ど完成の域に達しているのであとは購買意欲をそそるデザインが決め手でしょうね。その証拠に某社は過去のMF機のデザインを真似た「見た目は懐古趣味・中身は現行機キャリーオーバー」を出している始末。


 

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日航ジャンボ機墜落事故は一番記憶に残る飛行機事故

2024-03-13 | 日記

アマゾンのウェブサイトを見るとおすすめの本がトップページに掲載されます。ある日ふと気になった単行本があったので立ち読みして購入しました。森永卓郎氏の名はニッポン放送でよく耳にしていたのですがまさか重い病気になっているとは思いも知りませんでした。日本経済の凋落を解説した本ですがまさか1985年の日航ジャンボ機墜落事故の話が出てくるとは思いませんでした。当時の日本はまだバブル景気前でしたので新卒学生(私はまだギリギリ学生)は引く手あまたの時代でリクルート社からの会社案内が縦に積むと1mぐらいになったものでした。

私は夏休みでしたので茨城県つくば市で開催中の科学万博に行くために母親と叔父が単身赴任していた友部町(現笠間市)の某国営企業の社宅に泊まりに行くことに。確か当日は非常に暑い日で今なら考えられませんがエアコンも付いてないクルマ(トヨタスプリンター)でしたので短パン・Tシャツで運転していたと思います。ラジオから流れてきたニュースは当然日航機が行方不明というニュース。その晩のニュースで御巣鷹山(御巣鷹の尾根)に墜落したとの報。

今でも事故原因は以前尻もち事故をしたときの修理ミスが原因とされていますがこの本では別の著者の推測から初期救助が遅れた原因が日本経済の凋落に関係しているとされていて何やら陰謀めいた話になってきています。ただ一つ言えることはどんな事故原因があろうとも亡くなった人々は帰ってこないと言うことだけです。特にお子さんを一人飛行機に乗せて後生後悔の念に悩まされているご両親の気持ちは気の毒でなりません。既に母も叔父も帰らぬ人となりましたが自分が人生で一番ショックを受けた飛行機事故がこの事故なのは言うまでもないです。

森永さんの著書の話でしたがいつの間にか日航ジャンボ機墜落事故の話に..。
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今時の女の子は卒業式では泣かない

2024-03-12 | 日記

あいにくの雨模様でしたが今日は娘の卒業式でした。久しぶりに自分の卒業証書を見てみたら全く同じフォーマット! しかも卒業式の日(令和と昭和は違うが)まで一緒でした。


アルミ枠のネジ止め跡がなんとも言えません。ちなみに私も長男も3年3組でしたが当時と変わらない建屋の教室は隣。今見ると凄く狭いんですよね。

式終了後に教室で最後のホームルームがあるのですが今時の女の子は泣きませんでした。40年ぐらいまえの卒業ソングでは泣かない子は冷たい人..と歌われてますけどね。自分たちの時はホームルーム終了後に何故かバレーボールを始めてそれで解散でした。数人の女の子は泣いていました。卒業後は同じ高校に行った仲間ぐらいしか消息は分かりませんがあまり訃報も聞かなかったので皆元気でやっていると思います。そう言えば市長の言葉があって代読かと思ったらご本人が登場、なんと母校の卒業生(先輩)でした!
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生きること、生かされていること

2024-03-11 | 日記


当時異様な揺れで社内放送とともにグランドに避難誘導が始まり社員たちは部署ごとに整列させられていましたが震源地からずっと離れた地では雑談さえしている連中もいました。数日前に長男の卒業式があったので長女を連れて湘南平までのんきにドライブしたのですが震災後のガソリンスタンドの休業にはホント悩まされました。数日間ガソリンが入れられないので職場までチャリンコで通勤する始末..。いやあアップダウンがある通勤経路ですので特に帰りの時はキツかった!

あれからもう13年も経ちました。父親はもちろん、叔父叔母や恩師、有名人でさえいろんな人がもういません。頼る人はいないけど頼られる人はまだいますのでもうしばらくは人間をやっていこうと思います。






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