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新編 戦後翻訳風雲録

2007年06月24日 | ノンフィクション
頭の中の、いわゆる「小説」というものを記憶する部分のほとんどは、「翻訳小説」、とくにミステリ、SF、ファンタジィと呼ばれるエンタメ系で埋まっている。小学校中ごろからの蓄積だから相当な分量になるはずで、当たり前だが数えたこともない。読み捨てられるはずのエンタメ小説を集めて分析しようなんてのは、よほどの物好きでしかない。でも、忘れられるはずの翻訳者の名前がなぜか作者の名前とコミで記憶しているのは不思議だった。のちに知ることになるのだが、なじみのある名前の翻訳者たちの本業はほとんどが詩人だった。世間のことを知らない若輩でも、詩人というだけで生活できるほど社会が甘いとは思ってもいなかった。つまり、金のために、不本意ながら人を楽しませる小説を訳していたのだと悟った。
ところが「新編 戦後翻訳風雲録」を読むと、意外とそうでもないことを知らされる。ほんとうにミステリが好きな詩人/翻訳者もいたのだ。そうは言っても糊口をしのぐための翻訳者が多いのもたしかだが。しかし変人・奇人が多いのも驚かされる。酒乱、女好き、吝嗇、虚言癖など、間違っても巻きこまれたくない人たちばかりだ。そうでない人もいわゆる戦中、戦後の時代を生きぬき、挫折と蹉跌を経て晦渋な人が多いように思う。そんな翻訳家たちと、著作権エージェントとして付き合わなければならなかった著者も大変だったろうが、そこは相身互いで著者自身も若いころは酒癖が悪く、当時の社長(早川書房の)にからんで相撲部出身の社長を激怒させたことも、路上で地回り相手に立ち回りもしたこともあるそうだ。
本の雑誌社から出たときは「戦後翻訳風雲録 翻訳者が神々であったころ」という副題がつけられていた。目黒孝二の命名だろう。目黒孝二の趣味は好きではないが、この副題はいい。ミステリとSFを読み始めたころの人間にとっては、まさに神々の集まりに思えた。古今東西の神話に登場する神さまも人間以上に俗なものではないか? 酒乱、女(男)好き、吝嗇、虚言癖など、そのままである。
最近の翻訳家は英文科を出たまじめな女性が多いようだが、かつての無頼派のような翻訳家は絶滅した、のだろう。感動した小説、好きだった小説、その翻訳家である神々はヴァルハラに集う。この本はその神々に捧げられたレクイエム。
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