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チラシの裏

バンコランから毒のたわむれ

2019年10月05日 | JDカー
■バンコラン4部作は、ガストン・ルルーやガボリオといったフランスミステリの線を狙ったような気がするなあ。
それに、「夜歩く」に登場したシャロン・グレイが、いつのまにかフェイドアウトしたのは、
カーの分身だったジェフ・マールの素行を清廉潔白にしておきたかったカーの意向だと思うよ。
なにせ、シャロン・グレイはイギリスのいいところのお嬢さんだけど、
パリでは愛人稼業をしていたことになっている。

★むかし愛人バンクってありましたねえ。
「絞首台の謎」では、しれっと「元」恋人になってるし。

■パリを舞台にすることができなくなったカーは、作風を変えることにしたのだろうけれど、
その再スタートが「毒のたわむれ」という暗い話になるのはどうしてか。
アメリカの田舎、因縁のある一家におこる毒殺事件……

★「火刑法廷」みたい……

■それもあるけれど、クイーンのほら。

★「災厄の町」ですか。

■「毒のたわむれ」では、旧家の陰鬱な雰囲気にくわえ季節が冬に設定されて、
暗い、寒い、救いのない話が展開する。
それはカー自身の生地にたいする心象風景ではないか。

★ふつうならば、故郷といえば懐かしさというか懐旧の念みたいなものがあるはずだと思いますが。
それだけにプロローグとエピローグのウイーンの光景が暖かく際立ちます。

■さらに、家族内の支配と被支配の関係は、カーの無意識下にある親子関係への不満を表しているのかねえ。

★母親とは不仲だったそうですから、それもカーの心象ですか。

■どうなんだろう。老母が一族を支配する、というシチュエーションはクイーンにも見えるのだけど、
当時の男性のなかにアプリオリに刷り込まれていたものか、
カーやクイーンにだけあるものだったのか、わからんねえ。

★それに「毒のたわむれ」の話し手であるマールの立場が不思議です。
故郷へ帰っているはずなのに、ずっとクエイル家に入り浸りですものね。

■クエイル判事の言動にまったく説得力がない(●●常習者、という性癖であっても)。
しかもクエイル判事がマールにだけマトモな話をする、という設定は変としか言いようがない。
カーの中にファザコンみたいなものがあったのか。

★それはまた腐女子が喜びそうなシチュエーションで。

■いちばん怪しい人物を、物語の冒頭で不可抗力と思わせる展開により、ストーリーの本筋から外す、
というミスディレクションは、このあとディクスン名義の作品でよく見られる。

★「一角獣の殺人」「皇帝のかぎ煙草入れ」「九つの答え」……、
ディクスン名義というより、ノンシリーズと言ったほうが近いかもしれません。

■なるほど、そうかも。「毒のたわむれ」では、ほんの少ししか姿を見せない。
その技法を推し進めたのが「黒死荘」。

★叙述的なアクロバット、と言うわけですか。

■そこはもっと評価されていいし、カーの才能がそれを実現させていることを認めてほしい。
それに謎と手がかりの配置はすばらしく、パット・ロシターの初登場場面でさえ、
巧妙に手がかりの一部に組み込んでいる。
翻訳を新しくすれば、代表作とはいわないまでも初期佳作にはなると思うよ。
「剣の八」「盲目の理髪師」「アラビアンナイト」よりは読みやすくておもしろいのでは。
まあ、ロシターは使い勝手の悪い探偵で、奇矯な言動が魅力ではあるけれど、
もしシリーズ探偵にするとしたら、毎回その奇矯な言動をこしらえなければならなくなり、
費用対効果の悪い探偵になっただろう。悪態をつかせるHM卿のほうが書きやすいだろうなあ。
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