先日の日記の続きです。
前回は、3月後半に改めて立候補を決意した所までお話ししました。
3月中は、これまで通り「あたらしい勝浦を創る会」への入会促進活動、挨拶回りを行いました。
当初の予定では、早朝駅前に立っての街頭演説や、街を歩いての演説、ビラ配り等も予定していましたが、やはり震災による影響を考慮して、それらは行いませんでした。
三月下旬、いよいよ立候補の準備も本格化します。
まず大変だったのが、立候補届出用の書類作成です。
分量的には大した事は無いんですが、添付書類が多いので全部を揃えるのは相当苦労しました。
他にも、レンタカーの手配や、ウグイス嬢の手配、ポスターの写真撮影やハガキのデザイン、スタッフや必要物資の手配、警察での車両の事前チェック等々、細々とやる事が沢山あってテンヤワンヤの日々でした。
今回の選挙準備において最後まで一番悩んだのは、
「選挙カーとウグイス嬢を出すかどうか」でした。
実は、私自身は当初、「選挙カーもウグイス嬢も出さない!」と決めていました。
東日本大震災で多くの方が犠牲になり、日本全国が自粛ムードの中、大音量で名前の連呼(実は、法律で選挙カーのウグイス嬢は名前の連呼「しか」出来ない事になっています!政策等を言いながら走るのは、実は禁止なのです)をするなんて不謹慎だし必要ない、と思っていたし、選挙カーを出すからには車や運転手やウグイス嬢を確保しなければならず、お金も相当かかります。
しかし、支持者や仲間は「選挙カーを出すべきだ」とアドバイスをくれました。
支持者へのお礼の意味で出した方が良いと。最初は意味が分かりませんでしたが、結果として選挙カーは出して正解でした。
支持者の皆さんの心理としては、自分の応援する候補者の選挙カーが廻ってこないと不安になるのだそうです。
そんなこんなでウグイス嬢の手配もおくれてしまい、友人の紹介でウグイス嬢が決まったのは、選挙一週間前でした(汗)
そして立候補の為の手続きや手配も済み、いよいよ4月17日、告示日となりました。
告示日当日、朝8時に市役所に書類を持って届け出に行きます。
ここで、届け出順にポスターの掲示場所が決まるのですが、当然他の候補も良い場所が欲しい為、届け出開始時間には全候補が会場に集まっています。なので、くじ引き(!)で届け出順を決める事になります。
くじ引きの結果、届け出順及びポスターの掲示場所は「8番」と決定。
すぐさまスタッフに電話してポスターの掲示をお願いしました。
いよいよ選挙戦が始まりました。
ここからは、時系列でなく各項目ごと説明してみたいと思います。
今回の選挙では、とにかく「お金をかけない」ことを心がけました。
なので、出来るだけ通常の場合と対比させながら書いて行こうと思います。
出陣式について
告示日の朝、候補者は「出陣式」を開催します。
支持者を集めて、選挙の開会式を行うわけですね。
当然、候補者としては集まる人数が多ければ多いほど派手で良いわけで、候補によっては現役の議員さんや偉い人が沢山応援に駆けつけたりします。
しかし、私の出陣式はつつましいものでした。
出陣式の案内はご近所と友人にしか出しませんでした。
それでも、大切な友人や家族を含め30数名もの方が駆けつけてくださいました。
大学の同期が東京から来てくれたのは、本当に嬉しかったです。
事務所について
資金も無かったので、自宅を事務所にしました。
他の候補は大きな事務所の看板や、紅白の垂れ幕なんかも用意して、立派な選挙事務所を用意していましたが、私の場合は本当に自宅の6畳間のみ。
通常、候補者は他候補の事務所前を通る時に「◯◯候補のご健闘をお祈り申し上げます」と挨拶するのが慣例なのですが、うちの場合は看板すらも掲げていなかった為、誰も戸坂健一候補の事務所であると気付かず、みなさん素通りでした(笑)
なかには、事務所にいらっしゃる支持者の方もおり、みなさん事務所のあまりの質素ぶりに心配になるらしく、「大丈夫か」と声をかけてくださる方もいました。
しかし、国会議員や県会議員の選挙なら別ですが、市議選ではそんなに立派な事務所は必要ありません。
スタッフの待機所やポスター、ハガキ等の整理が出来るスペースがあれば十分だと思います。事務所が狭い分スタッフ同士仲良くなれた気もします。
他陣営の中では、「戸坂事務所は活気がなさ過ぎてヤバい、きっと落選する」という評価もあったそうです(笑)
スタッフについて
選挙活動中は、家族親戚の他に、平日は3~4名、週末は8~10名の仲間と活動していました。みんな同級生や友人達です。
スタッフの数についても、「少なすぎる!」というご指摘を受けました。
確かに、他候補の多くは常時10名以上のスタッフを連れ、選挙カーの後ろに2台も3台も車を連ねてまるで大名行列のように街宣していました。
しかし、ついつい「あれって必要かな?」と思ってしまうのです。スタッフが多ければ確かに派手ですが、その分の費用も嵩みます。
事務所に集まる人数が多くなればなるほどご近所さんにも迷惑がかかりますし、出来るだけ仲間内だけで活動しようと決めていました。
仲間達はみな無償でこの選挙を手伝って、応援してくれました。
これまで生きて来て、こんなにも仲間に感謝した事はありません。
スタッフの数は少なかったけれど、みんな気心知れた仲間達。
全候補者中、一番楽しく和気あいあいと選挙活動が出来たと自負しています。
でも、他陣営の中では、「戸坂候補はスタッフ少な過ぎてヤバい、きっと落選する」という評価もあったそうです。
選挙カーについて
結果として出す事にした選挙カーですが、トラブル続出で大変でした・・・。
選挙初日。
とある漁港を走っていたら、いきなり「バキバキ!ゴキッ!!」というイヤな音と共に、頭上で何かが壊れる音がしました。
なんと、選挙カーの看板とスピーカーがトンネルの天井に引っかかって壊れてしまったのです!(図を参照)
まだお昼を過ぎたばかり、勝浦市内を回らなきゃいけないのにいきなり大破です。
車高が高い(3m)のに気付かず高さ制限2.8mのトンネルに突っ込んでしまったのです。
スピーカーが壊れてぶら下がった状態のまま、這々の体で事務所に帰還。夕方以降は修理のため、選挙カーを出せなくなってしまいました。
案の定、商店街から「戸坂候補の選挙カーだけ廻ってこない!何やってるんだ!」と苦情やご心配の電話があったりで、「選挙カー壊れました」なんて言うわけにもいかず初日からもう大変。
なんとか応急修理をして、選挙期間中乗り切りました。
また、運転手を親友に頼んだのですが、彼はペーパードライバーで、いきなりデカくて車高の高い車を運転させられたため、思うように運転する事が出来ずこれも大変でした。
無茶な依頼をした自分が悪いのですが、とにかく運転に慣れていない為、田んぼのあぜ道につっかかったり、対向車をかわせずに渋滞巻き起こしたり。
また、焦ってしまったのかゆっくり走る事や止まりたい所に停まる事が出来ず、常にハイスピードで走り回っていたので、「戸坂候補を応援しようと手を振りに行ったら、もうあっという間に車がいなくなっていた」
という苦情を何件か頂いてしまいました。
終いには友人の間でそのスピードとレア度故か「はぐれメタル」扱いされてしまいました・・・
また、他陣営の中では、「戸坂候補の街宣車がまたあぜ道に突っかかっていた」と言われていたそうです。
無茶なお願いをしてごめんねタツユキくん。でも楽しかったよ!
ウグイス嬢と演説について
今回の選挙では、ウグイス嬢さんを1名と、カラス(男性の場合はこう呼びます)を1名の計2名をお願いしました。
二人とも選挙カーのウグイスは初めてだったので、慣れるまでは大変でしたが、後半は素晴らしいアナウンスをしてくれました。
ウグイス嬢、当初は震災にも考慮して、出来るだけスピーカーの音量を下げて廻っていたのですが、「声が小さい」「元気が無い」という苦情が殺到。
2日目からは音量を上げました。最初はおっかなびっくりでしたが、最終的に、「音がうるさい」という苦情は一件もありませんでした。
今回の選挙でのウグイス嬢と選挙カーの使用戦略は下記の通りでした。
「ウグイス嬢による名前の連呼は極力控え、出来るだけ演説を多く行う。街宣車は演説の為の移動基地として使用する」
先程も述べたように、選挙カーで移動中は法令による制限により短いフレーズの連呼しか出来ません。もし自分が有権者だったら、名前の連呼なんか聞きたくない、候補者の政策や考え方が聞きたいはずだ。そう考え、出来るだけ多くの場所で演説を行いました。
車で走り、少しでも人が集まっている場所を見付ければそこで停まって演説する。
最終的には、山の中でも、漁港でも、一人でも耳を傾けてくれる人がいれば演説を行いました。田んぼで農作業をしている人がいれば、そこでも演説を行いました。また、同じ場所で演説を行うときは、出来るだけ内容を変えて演説する事も心掛けました。
結果、選挙期間中を通して80回以上は演説を行うことが出来たと思います。
演説を聴いてくれた方々が、「頑張ってね!」と声を掛けてくれる、これがどんなに嬉しく励みになったかわかりません。
自分にとっては80回中のたった1回でも、聴いてくださる方にとっては最初で最後の1回かもしれない。そう思って、一回一回の演説に全力を尽くしたつもりです。その結果、少しでも皆さんに気持ちが伝わったのなら、また、「勝浦市の選挙もあたらしくなった」と感じて頂けたなら、こんなに嬉しい事はありません。
でも、同じ話を何度も何度も繰り返し聞いていた選挙カーのスタッフは大変だっただろうなあ・・・
次回は、選挙当日のお話をしたいと思います。
前回は、3月後半に改めて立候補を決意した所までお話ししました。
3月中は、これまで通り「あたらしい勝浦を創る会」への入会促進活動、挨拶回りを行いました。
当初の予定では、早朝駅前に立っての街頭演説や、街を歩いての演説、ビラ配り等も予定していましたが、やはり震災による影響を考慮して、それらは行いませんでした。
三月下旬、いよいよ立候補の準備も本格化します。
まず大変だったのが、立候補届出用の書類作成です。
分量的には大した事は無いんですが、添付書類が多いので全部を揃えるのは相当苦労しました。
他にも、レンタカーの手配や、ウグイス嬢の手配、ポスターの写真撮影やハガキのデザイン、スタッフや必要物資の手配、警察での車両の事前チェック等々、細々とやる事が沢山あってテンヤワンヤの日々でした。
今回の選挙準備において最後まで一番悩んだのは、
「選挙カーとウグイス嬢を出すかどうか」でした。
実は、私自身は当初、「選挙カーもウグイス嬢も出さない!」と決めていました。
東日本大震災で多くの方が犠牲になり、日本全国が自粛ムードの中、大音量で名前の連呼(実は、法律で選挙カーのウグイス嬢は名前の連呼「しか」出来ない事になっています!政策等を言いながら走るのは、実は禁止なのです)をするなんて不謹慎だし必要ない、と思っていたし、選挙カーを出すからには車や運転手やウグイス嬢を確保しなければならず、お金も相当かかります。
しかし、支持者や仲間は「選挙カーを出すべきだ」とアドバイスをくれました。
支持者へのお礼の意味で出した方が良いと。最初は意味が分かりませんでしたが、結果として選挙カーは出して正解でした。
支持者の皆さんの心理としては、自分の応援する候補者の選挙カーが廻ってこないと不安になるのだそうです。
そんなこんなでウグイス嬢の手配もおくれてしまい、友人の紹介でウグイス嬢が決まったのは、選挙一週間前でした(汗)
そして立候補の為の手続きや手配も済み、いよいよ4月17日、告示日となりました。
告示日当日、朝8時に市役所に書類を持って届け出に行きます。
ここで、届け出順にポスターの掲示場所が決まるのですが、当然他の候補も良い場所が欲しい為、届け出開始時間には全候補が会場に集まっています。なので、くじ引き(!)で届け出順を決める事になります。
くじ引きの結果、届け出順及びポスターの掲示場所は「8番」と決定。
すぐさまスタッフに電話してポスターの掲示をお願いしました。
いよいよ選挙戦が始まりました。
ここからは、時系列でなく各項目ごと説明してみたいと思います。
今回の選挙では、とにかく「お金をかけない」ことを心がけました。
なので、出来るだけ通常の場合と対比させながら書いて行こうと思います。
出陣式について
告示日の朝、候補者は「出陣式」を開催します。
支持者を集めて、選挙の開会式を行うわけですね。
当然、候補者としては集まる人数が多ければ多いほど派手で良いわけで、候補によっては現役の議員さんや偉い人が沢山応援に駆けつけたりします。
しかし、私の出陣式はつつましいものでした。
出陣式の案内はご近所と友人にしか出しませんでした。
それでも、大切な友人や家族を含め30数名もの方が駆けつけてくださいました。
大学の同期が東京から来てくれたのは、本当に嬉しかったです。
事務所について
資金も無かったので、自宅を事務所にしました。
他の候補は大きな事務所の看板や、紅白の垂れ幕なんかも用意して、立派な選挙事務所を用意していましたが、私の場合は本当に自宅の6畳間のみ。
通常、候補者は他候補の事務所前を通る時に「◯◯候補のご健闘をお祈り申し上げます」と挨拶するのが慣例なのですが、うちの場合は看板すらも掲げていなかった為、誰も戸坂健一候補の事務所であると気付かず、みなさん素通りでした(笑)
なかには、事務所にいらっしゃる支持者の方もおり、みなさん事務所のあまりの質素ぶりに心配になるらしく、「大丈夫か」と声をかけてくださる方もいました。
しかし、国会議員や県会議員の選挙なら別ですが、市議選ではそんなに立派な事務所は必要ありません。
スタッフの待機所やポスター、ハガキ等の整理が出来るスペースがあれば十分だと思います。事務所が狭い分スタッフ同士仲良くなれた気もします。
他陣営の中では、「戸坂事務所は活気がなさ過ぎてヤバい、きっと落選する」という評価もあったそうです(笑)
スタッフについて
選挙活動中は、家族親戚の他に、平日は3~4名、週末は8~10名の仲間と活動していました。みんな同級生や友人達です。
スタッフの数についても、「少なすぎる!」というご指摘を受けました。
確かに、他候補の多くは常時10名以上のスタッフを連れ、選挙カーの後ろに2台も3台も車を連ねてまるで大名行列のように街宣していました。
しかし、ついつい「あれって必要かな?」と思ってしまうのです。スタッフが多ければ確かに派手ですが、その分の費用も嵩みます。
事務所に集まる人数が多くなればなるほどご近所さんにも迷惑がかかりますし、出来るだけ仲間内だけで活動しようと決めていました。
仲間達はみな無償でこの選挙を手伝って、応援してくれました。
これまで生きて来て、こんなにも仲間に感謝した事はありません。
スタッフの数は少なかったけれど、みんな気心知れた仲間達。
全候補者中、一番楽しく和気あいあいと選挙活動が出来たと自負しています。
でも、他陣営の中では、「戸坂候補はスタッフ少な過ぎてヤバい、きっと落選する」という評価もあったそうです。
選挙カーについて
結果として出す事にした選挙カーですが、トラブル続出で大変でした・・・。
選挙初日。
とある漁港を走っていたら、いきなり「バキバキ!ゴキッ!!」というイヤな音と共に、頭上で何かが壊れる音がしました。
なんと、選挙カーの看板とスピーカーがトンネルの天井に引っかかって壊れてしまったのです!(図を参照)
まだお昼を過ぎたばかり、勝浦市内を回らなきゃいけないのにいきなり大破です。
車高が高い(3m)のに気付かず高さ制限2.8mのトンネルに突っ込んでしまったのです。
スピーカーが壊れてぶら下がった状態のまま、這々の体で事務所に帰還。夕方以降は修理のため、選挙カーを出せなくなってしまいました。
案の定、商店街から「戸坂候補の選挙カーだけ廻ってこない!何やってるんだ!」と苦情やご心配の電話があったりで、「選挙カー壊れました」なんて言うわけにもいかず初日からもう大変。
なんとか応急修理をして、選挙期間中乗り切りました。
また、運転手を親友に頼んだのですが、彼はペーパードライバーで、いきなりデカくて車高の高い車を運転させられたため、思うように運転する事が出来ずこれも大変でした。
無茶な依頼をした自分が悪いのですが、とにかく運転に慣れていない為、田んぼのあぜ道につっかかったり、対向車をかわせずに渋滞巻き起こしたり。
また、焦ってしまったのかゆっくり走る事や止まりたい所に停まる事が出来ず、常にハイスピードで走り回っていたので、「戸坂候補を応援しようと手を振りに行ったら、もうあっという間に車がいなくなっていた」
という苦情を何件か頂いてしまいました。
終いには友人の間でそのスピードとレア度故か「はぐれメタル」扱いされてしまいました・・・
また、他陣営の中では、「戸坂候補の街宣車がまたあぜ道に突っかかっていた」と言われていたそうです。
無茶なお願いをしてごめんねタツユキくん。でも楽しかったよ!
ウグイス嬢と演説について
今回の選挙では、ウグイス嬢さんを1名と、カラス(男性の場合はこう呼びます)を1名の計2名をお願いしました。
二人とも選挙カーのウグイスは初めてだったので、慣れるまでは大変でしたが、後半は素晴らしいアナウンスをしてくれました。
ウグイス嬢、当初は震災にも考慮して、出来るだけスピーカーの音量を下げて廻っていたのですが、「声が小さい」「元気が無い」という苦情が殺到。
2日目からは音量を上げました。最初はおっかなびっくりでしたが、最終的に、「音がうるさい」という苦情は一件もありませんでした。
今回の選挙でのウグイス嬢と選挙カーの使用戦略は下記の通りでした。
「ウグイス嬢による名前の連呼は極力控え、出来るだけ演説を多く行う。街宣車は演説の為の移動基地として使用する」
先程も述べたように、選挙カーで移動中は法令による制限により短いフレーズの連呼しか出来ません。もし自分が有権者だったら、名前の連呼なんか聞きたくない、候補者の政策や考え方が聞きたいはずだ。そう考え、出来るだけ多くの場所で演説を行いました。
車で走り、少しでも人が集まっている場所を見付ければそこで停まって演説する。
最終的には、山の中でも、漁港でも、一人でも耳を傾けてくれる人がいれば演説を行いました。田んぼで農作業をしている人がいれば、そこでも演説を行いました。また、同じ場所で演説を行うときは、出来るだけ内容を変えて演説する事も心掛けました。
結果、選挙期間中を通して80回以上は演説を行うことが出来たと思います。
演説を聴いてくれた方々が、「頑張ってね!」と声を掛けてくれる、これがどんなに嬉しく励みになったかわかりません。
自分にとっては80回中のたった1回でも、聴いてくださる方にとっては最初で最後の1回かもしれない。そう思って、一回一回の演説に全力を尽くしたつもりです。その結果、少しでも皆さんに気持ちが伝わったのなら、また、「勝浦市の選挙もあたらしくなった」と感じて頂けたなら、こんなに嬉しい事はありません。
でも、同じ話を何度も何度も繰り返し聞いていた選挙カーのスタッフは大変だっただろうなあ・・・
次回は、選挙当日のお話をしたいと思います。