生誕120年 富本憲吉展
+ 特別展示 富本憲吉の世田谷時代
2007年1月4日から3月11日
世田谷美術館
昨年2006年に生誕120年を迎えた富本憲吉の大回顧展、2006年8月の京都近代美術館を皮切りに巡回してきたが、茨城県陶芸美術館を経て、ようやく東京にやってきた。昨年の8月27日に放映されたNHKの新日曜美術館を今頃になって予習してでかける。
ほぼ年代順に展示されてている。
まずは、東京美術学校(現・東京藝術大学)図案科の卒業制作≪音楽家住宅設計図案≫(1908)。洒落た感じの設計です。そして、ロンドンに私費留学。留学中は、卒業制作にもありましたから興味があったのでしょう、ステンドグラス制作を学ぶ傍ら、ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館に通ったときの所蔵品のスケッチを行なっている。またウイリアム・モリスの作品にも接しったという。海路で旅した当時の写真があり、ピラミッドなどもスケッチしています。戦前の欧州行きは必ず船ですから、我々は一足飛びにヨーロッパに旅行してしまいますが、インドやエジプトなどを見て欧州をみると世界観も変りそうです
帰国後、バーナード・リーチと出会い、作陶の道に入っていったという。楽焼をはじめ、白磁や染付を制作している。そして、世田谷に居を構える。そして飛躍となるのが、1936(昭和11)年の5月から10月までは、九谷(石川)の北出塔次郎の陶房に留まり、古九谷磁器の色絵技法を集中して研究した。秘伝の配合を教わり自由に色絵が可能になる。古伊万里風の作品も手がけているが、独自の図案を創造する。「模様から模様を造る可からず」という信念のもと、1941(昭和16)年は、定家葛の花(五弁)の写生から創案した四弁花連続模様が完成。色絵赤更紗模様飾壺などの作品となる。
日本の伝統的な古伊万里、赤絵などの色絵磁器の技術と、(ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館でスケッチした)西洋やオリエントのデザインの上に、独自な日本的なモダンなデザインを創造したものが完成したということになります。
このあたりから、この展覧会は豪華絢爛な作品が並び、それほど混んでいない展覧会場も、みなさんが引き込まれてゆっくりと鑑賞しているので、先に隣の作品を鑑賞したり作品の前にいったり来たり。
さらに金銀彩の同時焼成を完成させた色絵金銀彩の技法を確立。銀にプラチナを使うことで煌びやかな色絵磁器を実現しているとのこと。さらに「羊歯模様」を考案。色絵金銀彩四弁花模様飾壺、色絵金彩羊歯模様大飾壺などの豪華絢爛でモダンな素晴らしい作品となる。
作品のほかに、画巻、書、装丁、染織などが展示されている。作品のデザインをしたためた掛け軸、陶磁器論などもの書、日用使いの煎茶器なども洒落ている。自宅に作品が並べられている写真もあり、生活そのものが美であったようだ。裕福な家庭に生まれ、美を創造し、美に囲まれるハイソな生活。うらやましいような一生だ。
1959年5月15日のNHKの映像が映されていたが、これはこれで、戦後の京都の様子や、教授となった時の模様などが見れて面白かった。たばこをふかしながら制作をしているようすがダンディ。肺がんで1963年に亡くなった。
本展はさらに
岐阜県現代陶芸美術館 4月7日から5月27日
山口県立萩美術館・浦上記念館 6月30日から8月19日
に巡回。
昨年八月に本展覧会を知った時には、なぜ世田谷美術館と思っていましたが、1926年から終戦まで、富本憲吉は千歳村(現・世田谷区上祖師谷)に住んでいたというゆかりの地であったからということのようです。それもあるのか、常設展のほうに世田谷美術館の企画として「特別展示 富本憲吉の世田谷時代」が展示されていた。これが、また色絵磁器のような立派な作品でなく、日用の陶磁器が多数展示されていていい。上祖師谷の当時のようすの写真はもちろん、一枝夫人の卓球をする写真に加えて、夫人や子供の名前入りの湯飲み茶碗など、家族愛に溢れる制作が伝わってくる。
田園交響楽
平成18年度第3期収蔵品展
2007年1月4日~4月8日
熊谷守一のデッサン、師岡宏次の戦前戦後期の写真、当時の人々の活き活きとした表情、田畑のようすなど風景が懐かしい。
+ 特別展示 富本憲吉の世田谷時代
2007年1月4日から3月11日
世田谷美術館
昨年2006年に生誕120年を迎えた富本憲吉の大回顧展、2006年8月の京都近代美術館を皮切りに巡回してきたが、茨城県陶芸美術館を経て、ようやく東京にやってきた。昨年の8月27日に放映されたNHKの新日曜美術館を今頃になって予習してでかける。
ほぼ年代順に展示されてている。
まずは、東京美術学校(現・東京藝術大学)図案科の卒業制作≪音楽家住宅設計図案≫(1908)。洒落た感じの設計です。そして、ロンドンに私費留学。留学中は、卒業制作にもありましたから興味があったのでしょう、ステンドグラス制作を学ぶ傍ら、ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館に通ったときの所蔵品のスケッチを行なっている。またウイリアム・モリスの作品にも接しったという。海路で旅した当時の写真があり、ピラミッドなどもスケッチしています。戦前の欧州行きは必ず船ですから、我々は一足飛びにヨーロッパに旅行してしまいますが、インドやエジプトなどを見て欧州をみると世界観も変りそうです
帰国後、バーナード・リーチと出会い、作陶の道に入っていったという。楽焼をはじめ、白磁や染付を制作している。そして、世田谷に居を構える。そして飛躍となるのが、1936(昭和11)年の5月から10月までは、九谷(石川)の北出塔次郎の陶房に留まり、古九谷磁器の色絵技法を集中して研究した。秘伝の配合を教わり自由に色絵が可能になる。古伊万里風の作品も手がけているが、独自の図案を創造する。「模様から模様を造る可からず」という信念のもと、1941(昭和16)年は、定家葛の花(五弁)の写生から創案した四弁花連続模様が完成。色絵赤更紗模様飾壺などの作品となる。
日本の伝統的な古伊万里、赤絵などの色絵磁器の技術と、(ヴィクトリア・アンド・アルバート美術館でスケッチした)西洋やオリエントのデザインの上に、独自な日本的なモダンなデザインを創造したものが完成したということになります。
このあたりから、この展覧会は豪華絢爛な作品が並び、それほど混んでいない展覧会場も、みなさんが引き込まれてゆっくりと鑑賞しているので、先に隣の作品を鑑賞したり作品の前にいったり来たり。
さらに金銀彩の同時焼成を完成させた色絵金銀彩の技法を確立。銀にプラチナを使うことで煌びやかな色絵磁器を実現しているとのこと。さらに「羊歯模様」を考案。色絵金銀彩四弁花模様飾壺、色絵金彩羊歯模様大飾壺などの豪華絢爛でモダンな素晴らしい作品となる。
作品のほかに、画巻、書、装丁、染織などが展示されている。作品のデザインをしたためた掛け軸、陶磁器論などもの書、日用使いの煎茶器なども洒落ている。自宅に作品が並べられている写真もあり、生活そのものが美であったようだ。裕福な家庭に生まれ、美を創造し、美に囲まれるハイソな生活。うらやましいような一生だ。
1959年5月15日のNHKの映像が映されていたが、これはこれで、戦後の京都の様子や、教授となった時の模様などが見れて面白かった。たばこをふかしながら制作をしているようすがダンディ。肺がんで1963年に亡くなった。
本展はさらに
岐阜県現代陶芸美術館 4月7日から5月27日
山口県立萩美術館・浦上記念館 6月30日から8月19日
に巡回。
昨年八月に本展覧会を知った時には、なぜ世田谷美術館と思っていましたが、1926年から終戦まで、富本憲吉は千歳村(現・世田谷区上祖師谷)に住んでいたというゆかりの地であったからということのようです。それもあるのか、常設展のほうに世田谷美術館の企画として「特別展示 富本憲吉の世田谷時代」が展示されていた。これが、また色絵磁器のような立派な作品でなく、日用の陶磁器が多数展示されていていい。上祖師谷の当時のようすの写真はもちろん、一枝夫人の卓球をする写真に加えて、夫人や子供の名前入りの湯飲み茶碗など、家族愛に溢れる制作が伝わってくる。
田園交響楽
平成18年度第3期収蔵品展
2007年1月4日~4月8日
熊谷守一のデッサン、師岡宏次の戦前戦後期の写真、当時の人々の活き活きとした表情、田畑のようすなど風景が懐かしい。