徒然なるまままに

展覧会の感想や旅先のことを書いてます。

サン・マルコ美術館(フィレンツェ)

2007-01-20 | 絵画
サン・マルコ美術館(フィレンツェ)
Museo di San Marco

はじめてサン・マルコ美術館を訪れる。フラ・アンジェリコの受胎告知があるというぐらい予備知識しかなく訪れてしまった。一人でフィレンツェを鑑賞するとなると、入場料に加えてさらに入り口で公式ガイドブック9.5euroを購入しうろうろと回ることになる。

公式ガイドブックの裏表紙によれば、
ミケロッツォが1436年から1446年にかけて建設した修道院であったサン・マルコ美術館は、今もベアト・アンジェリコ(フラ・アンジェリコ)が描いた多くの素晴らしいフレスコ画が残り、ドメニコ修道会の記念すべき場所となっている。聖アントニーノ、ベアト・アンジェリコ、フラ・バルトロメオ、そして、ジロラマ・サヴォナローラといったドメニコ修道会の傑出した人物が生きた修道院で、今日になっても修道院の昔ながらの宗教的精神性が満ちている。

正面玄関から入ると、修道院という雰囲気に圧倒される。繰り返すアーチの意匠の廊下が取り囲む聖アントニーノの中庭。パンジーが綺麗に植えてある。廊下の壁面はフレスコ画で飾らている。すこし歩くと「ベアト・アンジェリコ 礫刑のキリストを礼拝する聖ドメニコ」(1442)。深緑の背景が荘厳な印象をひときわ与える。聖ドメニコとその修道会の礫刑信仰を象徴。

そして、オスピツィオの間。フィレンツェの教会、修道会のために制作したベアト・アンジェリコの数々の作品が、ここに一同に展示されている。「最後の審判(1425頃)」が印象的だった。上方中央の円内に描かれた主を中心とした構図、国際ゴシック様式で描かれ大地。

参事会の間のフレスコ画 ベアト・アンジェリコ「キリスト礫刑と聖人たち」(1442)。これも壁の上方に描かれている。元は青地だったというから絢爛かつ荘厳であっただろう。

そして、2階に上がれば、ベアト・アンジェリコ「受胎告知」(1442頃)が出迎えてくれる。「キリスト礫刑」ばかり描かれた修道院の中で、ここだけが天空の世界に一番近いといったところだろうか?ガイドブックに寄れば、このフレスコ画は新しい時代の到来を告げる三要素(アンジェリコ独特の光に満ちた表現、当時のフィレンツェの明快な建築様式の導入、厳格な空間配置と透視図法の適用)が集約している、とのこと。

そして、廊下には小さな僧坊が並ぶ。一つ一つの僧坊にフレスコ画が描かれている。第一僧坊は「我に触れるな」、第二僧坊は「キリスト哀悼」、第三僧坊は「受胎告知」、第五僧坊も「受胎告知」などが続くが、後残りにはほとんどが「キリスト礫刑」。当時の修道院の生活が偲ばれ、面白い。それにしても、「キリスト礫刑」の描かれた僧坊で過ごすのと、「受胎告知」の描かれた僧坊で過ごすのでは、随分瞑想する内容も異なってくるだろうというのが実感。

そして第一廊下の奥には、サヴォナローラの僧坊、一度に入れる人数に制限がある部屋。「シニョリーラ広場とサヴォナローラの殉教」の絵画があった。もしかして、これは数年前に来日したものか、それと同一の構図のものだろう。1498年4月23日の光景。サヴォナローラは、ロレンツォ・イル・マニフィコ(1449-92)の死後のメディチ家の没落を目論み、官能の快楽と美的情熱を非難し、絵画、楽器、詩集などをシニョリーラ広場で火の中に投ずるまでに至るが、その翌年1498年4月23日に同じ場所で殉教した。

サン・マルコ美術館を見終わってみれば、ある意味ではベアト・アンジェリコのGalleriaであるのですが、やはり修道院の雰囲気がそのままそのまま伝わってくるMuseoであり、敬虔な気持ちになった。
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