赤峰和彦の 『 日本と国際社会の真相 』

すでに生起して戻ることのできない変化、重大な影響力をもつ変化でありながら一般には認識されていない変化について分析します。

日本学術会議の解体を コラム(337)

2020-10-02 15:07:35 | 政治見解


コラム(337):日本学術会議の解体を

菅首相が、日本学術会議が推薦した会員候補者105名のうち6名の任命を拒絶したとして、メディアや野党が大騒ぎをしています。

日本学術会議の利用価値

日本共産党の志位委員長は「違憲、違法の日本学術会議への人事介入を、絶対に許すわけにはいきません。学問の自由、日本の民主主義を守るために、声をあげましょう!」と息巻き、立憲民主党の枝野幸男代表とともに政府を厳しく追及する方針を固めた模様です。

一方、反体制メディアの筆頭の朝日新聞も「“学者の国会”ともいわれる日本学術会議で長年守られてきた人事の独立が破られた」として、あたかも、「学者の最高権威である団体」に政府が弾圧してきたかのような印象操作を施し、世論喚起に躍起となっています。

なぜ、彼らは怒るのか。それは、彼らが自分たちの利益を侵害されて困っているということを示しているからにほかなりません。他者を攻撃する行為とは、必ず何かを守るために行われるものだからです。

実際、日本共産党や朝日新聞などは、選挙や政府攻撃の際、「日本学術会議という権威ある学者の先生がこう政府批判をしている」といった風に、自説の権威付けに利用していました。何も知らない人には日本学術会議の名前と権威を利用して自らの主張を粉飾していたわけです。これが使えなくなると困りますので、いま総力をあげて抵抗せざるをえないわけです。

なお、彼らが言う「学問の自由への侵害」は取ってつけた口実にすぎません。学者は学術会議のメンバーに入ろうが、入るまいが学問はどこでもでき、考え、発言することができるのですから「学問の自由の侵害」になるわけがありません。反論の論理が雑すぎます。また、日本学術会議は、105名を推薦する際、なぜその他の学者を推薦しなかったのかの理由も明らかにした方がいいと思います。

結局、日本学術会議は仲間内で都合のいい人を選んで、お互いに「俺たちは一流の学者だから、下々のものは俺たちの意見に従え」と他の学者や一般の人を見下す組織をつくりあげてきたわけです。


日本学術会議は何をしているところ?

日本学術会議のHPには「我が国の人文・社会科学、生命科学、理学・工学の全分野の約87万人の科学者を内外に代表する機関であり、210人の会員と約2000人の連携会員によって職務が担われています」とあり、役割は主に4つ、「政府に対する政策提言、国際的な活動、科学者間ネットワークの構築、科学の役割についての世論啓発」となっています。一見、大変に偉い学者の集まりであり、権威ある機関のように見えます。

しかも、日本学術会議には国家予算がつけられ、本年度(2020年)は10億4,896万円となっています。

それなら、日本学術会議は、国策機関として毎年多くの有意義な提言を政府にしなければならないのですが、実際は、1999年以降、1999年に二本、2005年に一本、2010年に一本、それぞれ政府に勧告を出し、それ以外は政府が諮問した内容について、それを担当した部内の専門委員が答申している程度で、予算に見合う働きはしていません。いわば、税金泥棒、サロン化した学者のたまり場にすぎません。

要は、社会貢献や国民の幸福に資するほどの活動は何もしていない、単に自ら自分の権威を持ち上げて、偉そうに振る舞っている自己陶酔者の集まりなのです。


学者には、社会への責任、倫理観、貢献が求められる

現代社会は、知識や情報が中心的な役割を果たしており、いまや、それらなしでは社会の運営が成り立たなくなっています。しかも、それらは万人に機会と栄進の道を開きました。

この時代潮流のおかげで、最先端の知識や有益な情報を持つ学者は、安全保障、経済、そして政治政策に対して政府から耳を傾けられる存在となり、彼らは、いつしか権威と権力を手にするようになりました。

しかし、その中で自分の見解に、社会への責任や貢献、倫理観が求められていることを自覚している人は皆無です。また、社会的に何の価値のない研究をしている学者も多く、なかには、研究のために政府から金を引き出す嘘のどこが悪いのかと居直るものもいるほどです。

このような現状を見るにつけ、学者たちは根本から襟を正さねばならないのではないかと感じます。

今回の6名の学者に対する内閣の任命拒絶は、図らずも日本学術会議の実態を暴き、無価値な存在が万人の目に触れることになった以上、日本学術会議なる組織は自ずと瓦解の道を歩まざるをえません。

そうなる前に、日本学術会議の構成員は、幻想の権威にしがみつくことをやめ自らの手で解体していくことが学者としての良心あるいは倫理観であると言えます。

しかるのち、イデオロギーに翻弄されることなく、これまでに得た知識や情報を積極的に社会に還元して、社会と人びとのために貢献しようという方向に生き方を改めることこそ学者としての本来の在り方ではないかと思います。その意識改革ができないものは、時代の移り変わりとともに淘汰されるものと思います



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