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SW旅行~その4 岡崎・東山界隈

2020年10月05日 07時56分55秒 | 泊りがけの旅行

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前回からの続き~

シルバーウィークの連休を利用した2泊3日の京都ひとり旅の中日(なかび)。

この日は恒例の茶道具関係の美術館巡りをしたいと考えていた。

 お世話にコレ。市バス1日乗車券。

さて、巡るルートを考える。
最初に野村美術館、丸太町通を西へ移動して楽美術館、さらに堀川通を南下して大西清右衛門美術館がいいか、
あるいはその逆か。
翌日のことも考えて選ばねばならない。

結局、当日の朝まで決めかねていた。
すると、早朝になって茶友さんからLINEがきた
で、それで野村美術館から巡ることに決めた。
(半年前~3月も野村から巡ったんだよね→こちら

前回と同じく9時すぐにマンガ読みの誘惑を断ち切って、外出。
ただし、今回は京都駅前ではなく烏丸七条のバス停から乗った。(5系統)
お宿からはすぐて便利!(ただし、予めバスの路線図を確認しておく必要がある)

南禅寺・永観堂道で降りる。
いつも歩く道なんだけど、なんか風景が新鮮に感じた。

途中、尊良親王墓の前で思わず足が止まる。
以前から視界に入っていて、「住宅街の真ん中に突然に天皇家のお墓があるのって、さすが京都~」とは思っていたけれど、
被葬者についてはほとんど興味がなかった。

しかし、今回はなぜか気になった。
なんか、最近になって目にしたお名前。
手元のスマホですぐ検索(できるって、便利な時代になったわ~)
あ、やっぱり後醍醐天皇の皇子だ。
4月から大河ドラマ『太平記』を欠かさず視ているので、そこに出てきてた。

『太平記』は1991年に放送されたから、かれこれ29年前のこと。
当時も視ていたハズだが、なんかねー時代劇にしてはマイナーな時代だし、フクザツだから
理解できなくて、記憶がかなり薄い。

今になって視ると、お茶大好き金沢貞顕が出てくるし、神戸というか兵庫が出てきたり
時代背景も理解できるので、かなり興味深く感じる。日曜朝6時からちゃんと正座して視てる。

いくつになっても知識を得るのは楽しいことだーと思いながら歩いていると、

 なんかいい。

で、野村美術館で懐石のうつわを鑑賞した。→こちら

鑑賞がは1日券だからバスに乗って次のポイントへ移動してももよいのだけど、
いい天気だし、時間的にも大差ないからと碧雲荘の脇の小道を歩いた。

ちょうど萩の花が咲いていた。

琵琶湖疎水の用水路を辿っていくと動物園の裏門へ出る。

動物園を回りこむようにして北側へ。

次の観光ポイントへ到着。

 

今回の旅はサブテーマがあって、それは「院政時代の場所を辿ること」。
この夏、熊野三山を旅したので、平安時代に熊野詣をたくさんした院政をした方々(白河、鳥羽、後白河)が
かつていらっしゃった地を歩きたいなぁと。

京都市動物園や岡崎公園は白河法皇が建立した法勝寺があったというし、
その周辺も白河北殿とか白河南殿とか六勝寺などあったらしい。
保元の乱の舞台でもある。

まぁ、面影はほとんどないけどネ。

そうして、京セラ美術館の裏から庭園へ。

見えてきましたね。池に浮かぶガラス茶室。 

 

 

かつて見た吉岡徳仁さんのガラスの茶室(光庵)とはまた別物。
中が暑そう~

いいんだか悪いんだか、わかりませんが。
でも、ある意味では舞台的にガラスで仕切っているという点で感染症対策ばっちりの茶室?

 岡崎公園を横切って北へ移動。

細かく探せば跡を示す石碑もあるのでしょうか、そこは略して「ざっくり、ここら一帯が~」と思いを馳せた。

で、熊野神社まで歩いた。

 丸太町通。

ここをまっすぐ西へ行けば御所や平安宮の前を通って法金剛院へ至る。

この道を鳥羽上皇や待賢門院璋子は行き来してたのかしらん。
なんてことをふと思った。

そういえば、今回はパスしたけど昨年(2019年1月)は京都御所の西側で土御門内裏跡も見たっけ。
 →こちら

ここは鳥羽、崇徳、近衛の3天皇が里内裏として使ったところ。
(この時代になると、最初の平安京の大極殿周辺はもはや機能していなかったらしいから、ややこしい~)

そんなこんなで、平安時代末期の考察は一旦リセットして、バスに乗った。

次回へ続く~
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