Akatsuki庵

後活(アトカツ)中!

細川護立さんのコレクション

2020年11月03日 19時47分55秒 | 茶道具以外の展覧会

令和2年度 秋季展 財団設立70周年記念『永青文庫名品展 没後50年“美術の殿様”細川護立コレクション』 サイト
※11月8日(日)まで

トーハクで桃山展を鑑賞した後、徒歩で西へ。
上野の坂を下り、台東区から文京区へ。
メトロ根津駅(不忍通り)を渡って、言問通りを歩けば両側に東大キャンパスが。
本郷通りを越えて進めばやがて白山通りに至る。都営三田線の春日駅を過ぎれば、「えんま」や「閻魔」の文字が。
閻魔さまをお祀りするお寺を巻くようにして坂を登り、裏道を通りながら広い通りも通り、また裏道へ。
下を丸の内線が通るのにビックリしながら、坂を下れば通り名はわからないけど、何やら趣きのある道に出た。

江戸時代からある道なんだろうなぁ。両脇は武家屋敷とか旗本屋敷とかあったのかなぁと思いつつ、
水道端図書館の前を通って「なんか、この道好きだなぁ」と歩いていたら、江戸川橋の袂に到達。

ここから先はわかる。神田川に沿って進み。「こんなに距離あったかしら」と意外な気もしつつ、
椿山荘を過ぎたあたりで徐に左折! 胸突き八丁の急な階段をフーフー言いながら上がれば目的地。

「あれ? 門構えが新しくなっている」と思ったけど、実は前回~3年前に訪れた時も同じことを思っていた。
(3年ぶりの訪問だということをすっかり失念していた)。

永青文庫は非常に行きづらいので、よほどのことがない限り足を運ばない。
今回は菱田春草の「黒き猫」と「落葉」を久しぶり鑑賞したくて。

思えば、自分の意志で足を運び、鑑賞して自分のお小遣いで初めて買った図録が細川コレクション展だった。
その図録は今でも手元にあるし鑑賞した時の記憶も驚くほどに鮮明だ。
(ちなみに、観に行ったのは京博で15歳で両親に車で連れて行ってもらった)

あの時は単純に明治時代に描かれた日本画というザクっとした印象しかなかったけど、
日本画なのにリアルで不思議な雰囲気が素直に心に入ってきた。

あれから何度もこの2つの作品は鑑賞した。
いつの間にか自分はこんなに歳を重ね、この絵を描いた菱田春草のことや時代背景も理解した。
でも、感動は変わらない。

ただ、描かれた直ぐに護立のコレクションに入ったのではなく、別人に購入されて
その後に売り立てに出されたのを護立が購入したのだと知って、少し驚いた。

春草って、不遇のうちに早世したという印象が強かった。
朦朧体は発表直後は評判が悪かったと思い込んでいたけど、少なくとも「黒き猫」は発表時点に高い評価を受けていた。
うーむ。菱田春草展の図録をちゃんと読まねば! と反省。

ほか、安田靫彦が晩年の秀吉を描いた「聚楽茶亭」を初めて鑑賞できたのは嬉しかった。
初めて買った図録にモノクロで載っていた。展示替えだったのか、実物を見ることが出来ず残念だったので「やっと」という感じ。

白隠の達磨図や大燈国師像はお馴染み。(細川護熙さんが描いた白隠のオマージュのハガキを部屋に飾っていたこともあった)
仙厓コレクションもよかった。

面白かったのは横山大観を描いた大御所たちのスケッチ画。
小林古径、安田靫彦など錚々たる方々の素描。
昭和17年に築地の料亭で催された写生会。大観がモデルになって、それを描く画家たちを撮った写真もあった。

そうそう。
4階の展示室にデーンと鎮座している大きな漆器の衣装箱?
細川家の奥方の嫁入り道具なんだろうなと以前から思っていたけれど、今回どなたのかがわかった。

なんと、護立のお母上様が鍋島家から嫁いだ際のもの。
なんと反射炉で幕末最強の軍事藩にした鍋島直正の姫様(娘)だったのだ~。
てことは、護立さんって、直正の外孫? なるほど。

と、なんか妙に納得してしまった。

展覧会の後は永青文庫から庭園へ。元は細川家のお屋敷とお庭だったけど、今は文京区の管理。

それにしても、上野から文京区を横断して6.2キロのウオーキング。
疲れた~

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