私たち生まれてからこの地に住み、生活している者にとっては
祭りの風情が染み付いて、のぼり旗が風にギシギシとなる音、極早稲みかんの
すっぱさ、早朝のお舟の三味の音、遠くから聞こえて来る牛鬼の笛、
お宮から太鼓の鳴る音、船に飾られた大漁旗、角力ねりのこどもたちの
カタカタとなる下駄とシャリンシャリンと鳴る鈴の音、牛鬼のかごの酒臭い匂い、
神輿の法被の腰飾り、お宮の階段を登る時の朝の空気のひんやりとした心地よさ、
朝日に輝く神輿の姿、牛鬼衆が宿から出て旧街道を進む時の朝の気配、など
ほんの朝方のひと時にさえも、五感がぶるっと震えるくらいの興奮に包まれる。
きっとこれは、小さい時からの記憶が大きくかかわっているのではないかと思う。
こんな感覚はそれ相応の時間が過ぎないと理解できないものである。
そして何十年経っても昔ながらの光景が祭りでおこなわれていることに
ふるさとを離れて暮らしている者にとっては、このうえもなく誇りであり
正月に帰らずともお祭りに帰省して、それを見て涙する。
なつかしさ以上にふるさとへの愛情が湧いてくる。
そんな昔からの変わらない祭りの伝統を受け継ぎ、守ってゆくことは
大変なことである。しかし、狩浜に住むひとたちは、それを律儀に守り
次世代につないでいる。ひとりひとりが、それが大切なことをわかっていて
地区がひとつになって、お祭りを盛り上げようとする、そんな風土がこの地には
残っている。
祭りの風情が染み付いて、のぼり旗が風にギシギシとなる音、極早稲みかんの
すっぱさ、早朝のお舟の三味の音、遠くから聞こえて来る牛鬼の笛、
お宮から太鼓の鳴る音、船に飾られた大漁旗、角力ねりのこどもたちの
カタカタとなる下駄とシャリンシャリンと鳴る鈴の音、牛鬼のかごの酒臭い匂い、
神輿の法被の腰飾り、お宮の階段を登る時の朝の空気のひんやりとした心地よさ、
朝日に輝く神輿の姿、牛鬼衆が宿から出て旧街道を進む時の朝の気配、など
ほんの朝方のひと時にさえも、五感がぶるっと震えるくらいの興奮に包まれる。
きっとこれは、小さい時からの記憶が大きくかかわっているのではないかと思う。
こんな感覚はそれ相応の時間が過ぎないと理解できないものである。
そして何十年経っても昔ながらの光景が祭りでおこなわれていることに
ふるさとを離れて暮らしている者にとっては、このうえもなく誇りであり
正月に帰らずともお祭りに帰省して、それを見て涙する。
なつかしさ以上にふるさとへの愛情が湧いてくる。
そんな昔からの変わらない祭りの伝統を受け継ぎ、守ってゆくことは
大変なことである。しかし、狩浜に住むひとたちは、それを律儀に守り
次世代につないでいる。ひとりひとりが、それが大切なことをわかっていて
地区がひとつになって、お祭りを盛り上げようとする、そんな風土がこの地には
残っている。