私もかれこれ50年ほどお祭りを見てきましたが、アクシデントや怪我、喧嘩は
祭りの付きものとは言え、最近増えてきた”祭りガール”のみなさん、牛鬼には十分
気をつけて下さい。地元の者は尻剣がいかに怖いかよく知っていますので、
牛鬼の後ろへは絶対近づきません。知らない方は、前を牛鬼が通り過ぎると
行ったな、ほっ・・・と、ここで安心してしまうので、そのあと厚さ3cmもある尻剣が音もなく
上から落ちてくることに無警戒です。
牛鬼の尻剣、注意してください!(今年は3人が当たってしまうのを目撃しました・・)
朝日に輝く神輿。神々しさがなんとも言えませんでした・・・(本浦中浜にて)。
はっきりとした事はわかりませんが、少なくとも江戸末期にはお船組の
練りは行われていました。但しお船の初代は明治20年代の建造です。
また、相撲練りは狩浜では明治20年代に入ってからのもの。
この江戸末期から明治にかけての、狩浜の祭りの黎明期、一体どのくらいの
住民がこの浦にすんでいたかと言いますと、
明治8年の頃、狩浜で1435人(287戸)、渡江439人(68戸)でした。
現在では、狩浜620人(248世帯)、渡江231人(79世帯)。
現在の約2倍強の人がいた事になります。そのようなことを考慮して
想像するに、練りの主役たちは、10~20代であったろうと思えます。
聞くところ、お祭り前には各練りには宿があって、そこで練習したり飲食をともに
しながら、お祭りを迎えていました。今の青年団、青年会のようなものだったろうと
思います。祭りはそんな若い人たちの集まりの場を作り、男女交際のきっかけの場としても
機能していたのではと、ご年配の思い出話を聞きながら、そう思ったりします。