狩江のお祭りと文化論

~愛媛県西予市明浜町狩江地区のお祭りや、四季折々の風景、暮らしを独自の観点からお伝えいたします~

牛鬼にご注意!!!!

2013-10-28 18:29:05 | お祭り

私もかれこれ50年ほどお祭りを見てきましたが、アクシデントや怪我、喧嘩は

祭りの付きものとは言え、最近増えてきた”祭りガール”のみなさん、牛鬼には十分

気をつけて下さい。地元の者は尻剣がいかに怖いかよく知っていますので、

牛鬼の後ろへは絶対近づきません。知らない方は、前を牛鬼が通り過ぎると

行ったな、ほっ・・・と、ここで安心してしまうので、そのあと厚さ3cmもある尻剣が音もなく

上から落ちてくることに無警戒です。       

牛鬼の尻剣、注意してください!(今年は3人が当たってしまうのを目撃しました・・)

        

 

朝日に輝く神輿。神々しさがなんとも言えませんでした・・・(本浦中浜にて)。


江戸~明治にかけての時代背景

2013-10-28 15:03:23 | お祭り

はっきりとした事はわかりませんが、少なくとも江戸末期にはお船組の

練りは行われていました。但しお船の初代は明治20年代の建造です。

また、相撲練りは狩浜では明治20年代に入ってからのもの。

この江戸末期から明治にかけての、狩浜の祭りの黎明期、一体どのくらいの

住民がこの浦にすんでいたかと言いますと、

明治8年の頃、狩浜で1435人(287戸)、渡江439人(68戸)でした。

現在では、狩浜620人(248世帯)、渡江231人(79世帯)。

現在の約2倍強の人がいた事になります。そのようなことを考慮して

想像するに、練りの主役たちは、10~20代であったろうと思えます。

聞くところ、お祭り前には各練りには宿があって、そこで練習したり飲食をともに

しながら、お祭りを迎えていました。今の青年団、青年会のようなものだったろうと

思います。祭りはそんな若い人たちの集まりの場を作り、男女交際のきっかけの場としても

機能していたのではと、ご年配の思い出話を聞きながら、そう思ったりします。