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「百目鬼」(どうめき) リメイク by akira

2012年02月15日 01時55分36秒 | 民話(リメイク by akira)
藤原秀郷は、平安中期の、関東の武将で、平将門の乱(940年)で、
超人、将門を討ったところから、数々の英雄伝説が 生まれた人物です。

 宇都宮市には、藤原秀郷が、百目鬼と呼ばれる、鬼を退治したとする、言い伝えがあります。
この言い伝えにちなんだ、百目鬼面と呼ぶ 瓢箪を加工した 郷土玩具があり、
魔除の面として 親しまれています。

 今から、千年ほど前のこと、(平安時代)藤原秀郷は、下野国・宇都宮に、
地方領主として館を築いていた。
秀郷は、近江の国で、大百足を退治して、一躍、名を馳せていた。

 ある日、狩りに行った帰り、田原街道・大曽を通っていると、老人が出てきて、
「この北西にある馬捨て場に、百の目を持つ鬼が出る」と、告げた。
秀郷が行ってみると、体中に百もの目を光らせ、
全身、刃のような毛を持つ、身の丈、十尺もの鬼が、死んだ馬にむしゃぶりついていた。

 秀郷は、ぐいっと、弓を引くと、最も光っている目を狙って、矢を放った。
矢は、鬼の急所を射抜き、鬼はもんどりうって苦しみながら、
八幡山の麓まで逃げたが、ついに倒れて、動けなくなった。
鬼は、体から火を噴き、裂けた口から、毒気を吐き、秀郷にも、手が付けられない状態だった。
仕方なく、秀郷は、その日はいったん、引き上げることにした。
 翌朝、秀郷が、鬼が倒れていた場所に行ってみると、
黒くこげた地面が残るばかりで、鬼の姿は消えていた。

 それから四百年がたった。(室町幕府、足利将軍の時代)
八幡山の東にある、塙田村・成高寺では、住職が怪我をしたり、
寺が燃えたりと、悪いことが続いていた。
そんな時、智徳上人という、徳の深い僧が、やってきて住職になった。

 いつも説教を聞きに来る、娘(むすめ)がいた。
この娘こそ、四百年前に、瀕死の重傷を負った鬼の、仮の姿だった。
長岡の百穴に、身を潜め、傷ついた体が癒えるのを、四百年の間、待っていたのだ。
娘に身を変えていたのは、邪気を取り戻すため、
自分が流した大量の血を、吸いに来ていたのだった。
それには、住職が寺にいたんでは邪魔なので、住職を襲ったり、寺に火をつけたりしていたのだ。

 智徳上人は、それを見破っていたが、かまわず、仏教の道を説いた。
鬼は、上人の説教を何度も聞いて、心を改め、正体を現した。
角を折り、指のつめをささげて、上人さまにひれ伏した。

 上人は、鬼の百ある目を、一つだけ残して、一つ、一つ、手で押さえて、つむらせてあげた。
一つだけ残してあげた目は、心の目だった。
鬼は山奥に引きこもり、二度と人間の前に、出てくることはなかった。

 それ以来、このあたりを、百目鬼と呼ぶようになったという。
今は、「百目鬼通り」という名称で残っている。

 おしまい