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「中高年のための文章読本」その4 梅田 卓夫

2014年10月28日 00時40分10秒 | 文章読本(作法)
 「中高年のための文章読本」その4 梅田 卓夫 著  ちくま学芸文庫 書き下ろし 2003年

 「<他人のことば>による汚染」 P-30

 さて、読者のみなさんが受けた作文教育はどんなものだったのでしょう。
この二つの条件は、一見、あたりまえのことのように思われますが、自分の文章において実現しようとするとなかなかむずかしいものです。

 ① 自分にしか書けないことを
 ② だれにもわかるように書く

 私の経験からいうと、中高年の人々は②の「だれにもわかるように書く」ことは、比較的容易にできる。
長年の人生経験によって、いわゆる常識や、ことば(日本語)の体系を身につけているし、語彙もそれなりに貯えているからです。

 問題は①の「自分にしか書けないこと」をどのようにして文章のなかに実現するか、です。
これは、ことさらに奇を衒うことではありません。
あなたがほんとうに書きたいことを深く追求することのなかにこそ、こたえはあるのです。

 私たちのこころ(思考や認識)は他人のことばによって汚染されています。
ものを見たり、考えたりするとき、知らず知らずのうちに、かつてどこかで聞いたことば、なにかで呼んだことばが「あなたの考え」になりすましてあらわれてきます。
それをかいくぐり、選り分けて、自分のことばをたぐり寄せることが、文章の創造です。

 「自分にしか書けないこと」とは、実は、自分が「ほんとうに書きたいこと」でもあるのですが、それははじめから明瞭に自覚されているとはかぎりません。

 むしろ、文章を書くという行為は、その全過程を通じて、自分が「ほんとうに書きたい(書きたかった)こと」を見つける作業だといてもよいでしょう。
(その実践的な方法については、のちほど詳しくとり上げることにします)

 <よい文章>が書かれたときには、書き手にとっても<発見>のよろこびがあるものでう。
<よい文章>を書いたときには、書き手自身も、自分が生まれ変わったような経験をします。
驚きと達成感があるものです。
それがあってこそ、はじめてあなたの文章なのです。