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日本は「随筆の国」 橋本 治 

2014年12月22日 00時29分12秒 | 古典
 「ハシモト式 古典入門」 橋本 治 1948年生まれ  ごま書房 1997年

 日本は「随筆の国」

 日本には、「日記」がいっぱいあります。なにしろ、「男が漢文で日記を書いている」という状況があれば、女も「してみむ」と思って、「ひらがなの日記」を書いちゃう――「そういう女がいてもいいだろう」と男が思って、わざわざ「女になって日記を書く」ということまでします。イギリスの映画監督は、「我が国が”野蛮人の国”だった時代に、日本にはとんでもなく自由な文章を書く女性がいた」と、やっぱり日本をうらやましがります。日本には、「日記」ばかりでなく、「随筆」というものもやたらと多いのです。

 清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』、兼好法師の『徒然草』からはじまって、もうず-っと日本のおじさんたちは随筆を書いています。「随筆の最初」は、清少納言という女性なんですが、その後の時代に、「随筆」というものは、もっぱら「おじさんの書くもの」です。江戸時代になったら、もうそういうものがゴマンとあります。「メモ」とか「走り書き」とかも含めた「身辺雑記」のたぐいや、自分で勝手に考えた「歴史の考証」とか、「オタク文化のルーツはここにあり」と言いたいようなもんですが、なんでそんなに日本には「随筆」が多いんでしょうか?