民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「声が生まれる」 はじめに その1 竹内 敏晴

2016年11月24日 00時04分11秒 | 朗読・発声
 「声が生まれる」聞く力・話す力  竹内 敏晴  中公新書  2007年

 はじめに その1

 お母さんたちは、なんとまあみごとに聞き分けるものだと思います。男の眼からみると。赤ちゃんの泣いているあの声はおなかがすいたのか、それともお尻がぬれたのか、眠くなったのか。男たちにとってはまるで同じにしか聞こえないのだけれど。

 その泣き声が、ある日今まで出したことのない音に変わり、なにか違ったリズムで動き始める。声が「ことば」に変わり始めるのです。その瞬間を、幸運にも、わたしは聞きました。

 ある晩わたしの娘は、毎晩のおやすみのオハナシを始めた時、ばたばたをしました。わたしはあわてて話をやめて「どうした」。かの女は「グィイ、グィイ」と変な音を出している。聞いたことのない声です。おなかでも痛いのか?いやそうじゃないみたいだ。なにか催促されているような感じもする。「はてな、なにかひどく喜んでいたみたいだったけれど、昨夜話したのはなんだっけ?」――ひょっとして、わたしはあてずっぽうに「キリキリ パッタン」と口に出してみた。とたんにかの女は足をばたばたさせてワッワッと笑うのです。へえ、とわたしはびっくりした。「キリキリ パッタン カランコ カランコ」、これは、こんなちっちゃい子にわからないだろうけど、と思いながらしゃべった瓜子姫の話の中の、機(はた)を織る音だったのです。

 この日からわたしは毎晩毎晩瓜子姫の、ではなく、キリキリパッタンのお話をすることになりました。かの女は「グィイ グィイ アッ アッ」と声を合わせる。アマンジャクが瓜子姫をほうり出して乱暴に機を織り出す「ドッチャライ バッチャライ」になると、キャッ キャッと喜んで大声になる。やがてそれが「キイ キイ パッ パッ」になっていく。声がことばになってゆくとはこういうことかと、幼い頃耳が聞こえずことばをしゃべれなかったわたしはびっくりして眺めていました。

 しかし、人によっては、このように出発してのびのびと育ってきたことばが、思春期になって出てこなくなる。また、出ても、他人に通じない、ということが起こります。そして、大人になり社会で仕事をするようになってから後、ある日突然しゃべれなくなってしまう人もある。

 レッスンの中でわたしはたびたびそういう人と、改めて声を出し自分のことばを生み出すために一緒に考えたりレッスンを試みたりします。その時人はだれでも、あの時のわたしの娘のように始めなくてはならないのです。その人に向かって、わたしが16歳で声が聞こえ始めてからようやくまあ人並みに話ができるようになるまでのほぼ30年近く、少しずつ進んできたステップを呼びさまし、改めて気づきながら、具体的な試みを差し出してゆくのです。

 竹内敏晴 1925年(大正14年)、東京に生まれる。東京大学文学部卒業。演出家。劇団ぶどうの会、代々木小劇場を経て、1972年竹内演劇研究所を開設。教育に携わる一方、「からだとことばのレッスン」(竹内レッスン)にもとづく演劇創造、人間関係の気づきと変容、障害者教育に打ち込む。