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「葬式は、要らない」 その1 島田 裕巳

2017年07月09日 00時49分14秒 | 生活信条
 「葬式は、要らない」 その1 島田 裕巳(ひろみ)1953年生まれ 幻冬舎新書 2010年

 どんなに寿命がのびたとしても P-15

 葬式は贅沢である――これが、本書の基本的な考え方であり、メッセージである。
 贅沢とは何か。それは、必要の限度を超えて、金銭や物などを惜しみなく消費することである。
 葬式が贅沢であるなら、それは本当は必要のないものなのではないか。議論は最終的に、「葬式無用論」に行き着くはずだ。
 ではなぜ葬式は贅沢なのだろうか。
 まずはその点から考えてみたい。
 人は死ぬ。これは動かしようのない事実である。

 (中略)

 しかし、いくら長寿になっても、私たちが死を免れられるわけではない。将来、不死が実現する見込みもない。人間が生物である以上、死は避けられない。

 ただ、宗教の世界には、死を免れた人物が存在する。
 高野山は真言宗の総本山だが、その奥の院に葬られた弘法大師・空海は、まだ生きているとされる。今でも高野山の僧侶たちは一日に三度、弘法大師のもとに食事を運ぶ。その様子を尋ねると、僧侶たちは「お大師様はお元気です」と真顔で答える。