「葬式は、要らない」 その4 島田 裕巳(ひろみ)1953年生まれ 幻冬舎新書 2010年
「直葬」登場の衝撃 P-31
私が今、現代の葬式の問題を考える必要があると思ったのは、葬式をめぐる世界でそれだけ大きな変化が起こりつつあるからである。
それをもっとも象徴するのが、「直葬」の増加という事態である。
(中略)
仏教界は「じきそう」と読み、葬祭業者は「ちょくそう」と読む。
(中略)
どう読むかはともかく、直葬とは、故人が亡くなった後、いったん自宅に遺体を安置し、近親者だけで通夜を行うものの、その後、遺体を直接火葬場に運び、やはり近親者だけで見送って、それで終わりにするやり方である。
要するに、寺や葬祭場で最初の夜に通夜を営んで会葬者を呼び、翌日にも会葬者を呼んで葬儀・告別式を営み、それから火葬する一般的な葬式に比べて、直葬はかなりシンプルなのである。
もともと直葬は、亡くなっても身元がはっきりしない人や生活に困窮していて十分な葬式代が出せない人のためのものだった。それが、一般の人々の葬式でも利用されるようになり、(後略)
「直葬」登場の衝撃 P-31
私が今、現代の葬式の問題を考える必要があると思ったのは、葬式をめぐる世界でそれだけ大きな変化が起こりつつあるからである。
それをもっとも象徴するのが、「直葬」の増加という事態である。
(中略)
仏教界は「じきそう」と読み、葬祭業者は「ちょくそう」と読む。
(中略)
どう読むかはともかく、直葬とは、故人が亡くなった後、いったん自宅に遺体を安置し、近親者だけで通夜を行うものの、その後、遺体を直接火葬場に運び、やはり近親者だけで見送って、それで終わりにするやり方である。
要するに、寺や葬祭場で最初の夜に通夜を営んで会葬者を呼び、翌日にも会葬者を呼んで葬儀・告別式を営み、それから火葬する一般的な葬式に比べて、直葬はかなりシンプルなのである。
もともと直葬は、亡くなっても身元がはっきりしない人や生活に困窮していて十分な葬式代が出せない人のためのものだった。それが、一般の人々の葬式でも利用されるようになり、(後略)