民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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3か月ぶりのエッセイの会「そぞろあるき」の定例会

2020年06月06日 15時03分03秒 | 身辺雑記
6月6日(金)
午後1時から3か月ぶりのエッセイの会「そぞろあるき」の定例会。
いつもの部屋の4倍はあるような広い部屋。
文化祭の演芸部門の発表会で使っている。
会が始まるのは1時からだが、テーブル・椅子の準備があるので12時30分に集合と言われていた。
じゅうぶん余裕を持って行ったつもりだが、
体力が落ちているのを計算していなかった。
2,3分遅れて着いたときはもうすっかり準備が終わっていた。

暑かったけどエアコンは使わずに窓を開け放して換気対策はじゅうぶん。
時々、吹き抜ける風が気持ちいい。
全員、マスク着用。
19人の会員のなか、欠席は3人。

始まってまもなく、プリントアウトしたみんなのエッセイをを忘れたことに気が付いた。
果し合いに刀を忘れて行ったようなものだ。
このごろよくこういったボケたなと思わされることが多く、
そのたびにガクッと肩を落とすのだが、
このときのショックはけっこう大きかった。
みんなのエッセイについて気が付いたことをメモしたり、
赤鉛筆で印をつけているのだが、それがない。
エッセイのタイトルのあいうえお順に進めていくのだけれど、
自分の前が誰だっか覚えていない。

いきなり自分の番がきた。
まず、どんな気持ちで、心境でエッセイを書いたかをしゃべる。
いつもは箇条書きにしゃべることをメモしておくのだがそれがない。
ええい、ままよ、とぶっつけ本番でしゃべる。
まぁ、しゃべることにはだいぶ慣れてプレッシャーなしでしゃべるれようになった。
しゃべりもギターと同じで慣れ、場数を踏むことが大事。
渋谷の東急名画座のことを書いたが、メンバーを見渡して、
意外と行ったことがないんじゃないかと思わせる人が多いのに気が付いた。

いつもより活発に意見交換があったように思う。
まったくしゃべらない人もいたが。
広い部屋だから大きい声を出さないとみんなに聞こえない。
いくらか耳が遠くなったのか、聞こえない人が多かった。
自分の声が相手に聞こえているかどうか気にしない人がいる。
自分のことしか考えないわがままな人と思われてもしょうがないだろうな。

4時に合評会が終わって、講師は退席し、総会をやった。
5時までしか部屋が使えないとかで、じゅうぶんに意見を言い合えないうちに終わってしまった。