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「盛り場の民族史」 その2 神崎 宣武

2013年05月29日 00時23分27秒 | 大道芸
 「盛り場の民族史」P-31~P-33  神崎 宣武(1944年生)  1993年 岩波書店

 「私らがこの商売をはじめたころは、タンカバイは大勢いたね。
高市(たかまち、仮設の露店市)といやぁ、タンカバイがずらっと並んでいたもんだ。
 そうさ、バナナ、セト(陶磁器)、ヤホン(本屋、おもに古本)、ランバリ(衣料)、
ベッコウ(飴)、シチミ(唐辛子)、みんなタンカバイさ。
ジンバイ(口上を述べない商売)は、俺たちの世界では素人扱いだったよ。
 それが何だい、このごろは。皆、黙って座ってらあ。
いらっしゃい、って声かける奴も少なくなって、薄っ気味悪いったらないね。
この界隈でタンカバイするのは、俺っきりになっちゃった。
そうすると、あっちに並ばせてはくんねえよ。
俺ひとりが離れてバイ(商売)さ。
まあ、ご時勢だからしかたねえけどさ・・・・・」

 と、徳田さんはいう。
 ちなみに、徳田さんは、68才(平成5年現在)。
ということは、この4,50年のあいだに高市(たかまち)の風景が様変わりした、ということになる。
たしかに、高市で商売をしてきた徳田さん世代の人達は、口々にそうした変化を語ってくれるのである。

 まず、商売面からいうと、現在の高市では食品が主流になっている。
それも、焼きそば、お好み焼き、たこ焼き、イカ焼きなど、その場で調理する食品が多い。
いいかえると、ガスボンベ、鉄板、アイスボックス、それに屋根つきのスタンドなど、
その装置が大型化してきたのである。

 これは、自動車交通の発達を前提にしなくてはならない。
もともと、彼ら露店商人たちは、寺社の祭礼や縁日にあわせてたつ高市を巡って、
商いをつないでいるのである。いわゆる行商人なのである。
すると、自動車をもたずして、そうした大型の装置を運ぶことは不可能に近い。
それに、生ものの扱いもむつかしい。
材料を調えて運ぶとなると、体積(かさ)や重量に対する手立てだけでなく、
保存の手立ても必要になる。
自動車や保存容器の普及があってはじめて、それが簡単になるのである。

 したがって、かつての露店の商品は、鉄道やバスの手荷物として運びやすいものに限られていた。
あるいは、自転車や徒歩でも運べるものに限られていた。
かさばらず軽量で、壊れにくく、腐れにくいものがその条件であった。
しかも、行く先々で簡単に補充できなくてはならない。
安く仕入れたり、手早く加工できることも条件であった。

 生薬、薬味、飴、衣料、暦、掛け軸など。呉服や掛け軸は、当然ながら古物が多かった。
とすれば、特別な値打ちものであろうはずがないのである。
むしろ、半端ものが多いとするのがよい。
だからこそ、それに話術や演技をつけて、さも値打ちものに見せかける必要もあったわけである。

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