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「私だけが百(ひゃくけん)を好きならいい」 佐野 洋子

2014年02月28日 00時10分56秒 | エッセイ(模範)
 「私だけが百(ひゃくけん)を好きならいい」 佐野 洋子  「覚えていない」より 2006年 

 今や女は、何にでもなれる。偉い学者も居れば、宇宙飛行士も居る。ダンプの運転手も小説家も居る。
しかし、なれないなあと思うのは永井荷風と内田百ではないか、というのが私の意見である。
無理すれば深沢七郎みたいなバアさん(小説は別だけど)には、なれない事もないかなあと思う。

 若い時、夏目漱石は読んだが、内田百など、読みたいとも思わなかった。
百という字が、何か近より難。一方的にシンキくさいと思い込んでいた。

 中略

 一年に一回、自分のためのパーティーを借金しながら、ホテルやらで開く。
摩阿陀(まあだ)会というのは、マアダ死なないからで、自分は、医者と坊主の間に座り、
医者は「寝てばかりいてはいけませんよ。成る可く起きている様になさらないと」と言い、
坊主は「今は大変こんでいる。暫くお待ち下さい。すいたら知らせます」などと言って、
お客は、「未だ百は死なざるや、まだ百は死なざるや」と歌ったりする。

 ねえ、こういうバアさんにはなれないでしょう。バアさんがやったら変で、様にならない。
しかも、今のバアさんはますますなれない。
これは、もはや現代に、百先生の様な変な人は出て来られない世の中の仕組というものになり、
これはどうしても明治時代に生まれた人でなければならない。

 何故(なぜ)明治と言われてもさだかにはわからないが、絶対に明治に生まれた人でなければならない。
何故だかわからぬが、おのずから品格というものが違う。時代の品格というものがあるのだ。

 中略

 百先生とその大哲学者は法政大学で同僚だった事があったそうだ。
私は内田百はどんな人でしたかとうかがうと
「いや、あれはゆかいな人物であった。
ある日、百は、ひげをそって来た。すると、ドイツ人の教授は『お前のひげはお前一人のひげではない。
我々は長年お前のひげに親しんで来た。勝手は許さん』と言ったのだ。
すると百は、『僕は、僕のひげに見物料というものをもらった事がない。今までの分を払ってもらおう』
と言ったのだ。いや実にゆかいな人物であった」
私はその九十四才の哲学者が大正、昭和と長々と生きて来たのに、
何か、なつかしい私の知らない明治という時代の香りを感じたものだった。

 私の囲(まわ)りにもう明治がずんずん消えてゆく。淋しい。しかし、私には内田百がある。
内田百がどんな大文学者か、私の様なものが、その文学について、何も言えないが、
現代のどんな名文豪と言われる人のものも、何かどこかトゲトゲしくて気が小さい。
百先生は、話し始めたら、あちらこちら、やたら勝手に話題を自由に広げ、
それが、どんなにつまらないささいな事でも、口をあけて、ポーッとききほれてしまって、
時々、フ、フ、フ、と笑えて、知人変人で、金策に走り回っているのに、
何かでっかい海にただよっている様な気分になれる。
お金を貸して下さいというのに、どうして、ちっとも下品でいやらしくないのだろうか。
やたらリアルなのに、夢か幻か。
恐いと思えば、おかしい。
本当は世界で私だけが内田百好きならいいなと思っている。

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