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「本居宣長」 素直な心で生きる その2 吉田 悦之

2016年04月04日 00時26分14秒 | 古典
 「日本人のこころの言葉 本居宣長」 吉田 悦之(本居宣長記念館館長) 創元社 2015年

 「素直な心で生きる」 その2 P-58

 「『徒然草』の中で兼好が、花は満開のときだけに限ったものではない、また月も雲のかからぬときだけに限ったものでもないと書いているのは、まるで風や雲を待ち望んでるみたいで気に入りません。兼好法師のような趣味を『作り風流(みやび)』(偽りの美意識)というのです。どうも兼好にはその傾向が強いようです。一般の意見とは違うことを雅(みやび)だとありがたがるのは、本心ではないはずです。
 
 たとえば恋について考えてみます。好きな人と会うのがうれしいのは当たり前すぎるからと、わざと会えない悲しみの心を歌に詠む。だいたい人間の心というのはうれしいときより悲しいときのほうが深く身に染みるものだからこのような歌に名歌が多いのは当たり前ですが、と言って会えないことを喜ぶのはおかしいですね。
 また、人は四十歳までに死ぬのが見苦しくないというのも、中世からの流行ですが、仏教の教えにへつらった虚偽です。」
 たしかに、宣長の言葉に一理ありますが、月や花については素直すぎる宣長の見方よりも、一ひねりした兼好の言にこそ深みがあると感じる人もいるでしょう。
 さて、自分の美意識や価値観を持ち、いちいちの是々非々を問う宣長ですが、では実際の宣長はどんな人だったのでしょうか。
 寛政七年(1795)、実際に宣長に対面した石見浜田藩主・松平康定は、その温厚さにおどろき、「もっと怖い人だと思っていた」と率直な感想を述べています。安易な妥協は一切しませんが、長い時間軸の中でゆったりと考えるので、結果としてはバランス感覚がそなわった人だったようです。

 (作者 注意書き)原文は原則として新字体・現代かなづかいに改め、読みやすくするために、適宜、ふりがなや句読点をつけるとともに、かなを漢字にするなどの調整をしました。和歌・俳句は、旧かなづかいのままとし、ふりがな、濁点をつけました。

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