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「本居宣長」 物のあわれを知る その1 吉田 悦之

2016年04月06日 01時14分34秒 | 古典
 「日本人のこころの言葉 本居宣長」 吉田 悦之(本居宣長記念館館長) 創元社 2015年

 「すべて「物のあわれを知る」ことに尽きる」 その1 P-64

 とかく物語を見るは、物のあわれを知るというが第一也。物のあわれを知ることは、物の心を知るより出(い)で、物の心を知るは、世のありさまを知り、人の情(こころ)に通ずるより出(い)ずる也。
 (『紫文(しぶん)要領』巻上)

 そもそもなぜ物語を読むのかというと、それは物のあわれを知るためなのです。物のあわれを知ることは、物の本質を理解することに始まりますし、物の本質を理解するということは、世の中の出来事や人の心をよく知ることから出発するのです。 (現代語訳)

 ここに引いたように、「物のあわれを知る」とは、物の心を知るということです。
「心を知る」といっても、対象物は精神的なものだけに限りません。たとえば、人の容姿や立ち居振る舞いはもちろん、四季の移ろい、工芸品などの場合もあります。それに接することで、自分の心になんらかの感慨がわき起こることが、物の心を知ること、すなわち「物のあわれを知る」ことなのです。

 人の感情は複雑で繊細です。たとえば気の毒と同情することもあれば、おもしろいとか、妙だ、珍しい、憎いなどさまざまです。それを感じることによって、対象を自分の中に受け止めているのです。
 宣長は、そんな感情の動きすべてを「物のあわれを知る」としてとらえたのです。
 物のあわれを深く知る人が、宣長に言わせれば、「心が練れて良き人」なのです。
 宣長はそのような人の心の動きに注目します。
 世の中は一人では生きられません。周りとの協調、ときには距離も大事です。それにより、逆に自分もまた救われもするのです。上に立つ人はもちろんのこと、ふだんの生活でも、心の練れた人が側にいると住みやすくなります。逆に、物のあわれを知ることがないと、思いやりのない殺伐としたつれない社会になってしまうでしょう。
「人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。」
『草枕』(夏目漱石)の主人公は山道を登りながらこう考え、その住みにくい世の中を少しでも改善するために絵や詩といった芸術は生まれるのだと一人納得します。
 たとえば私たちは、『源氏物語』を読むとき、「物のあわれを知る」ことによって、答えのない難しい問題が生まれる場合もあることを知ります。しかし、たとえそれが無間地獄のような非情な世界を描いていたとしても、鑑賞する人の心は、逆に落ち着きを得ることができるのです。世をのどかにし、心を豊かにしてくれる力が、歌や物語、また芸術には秘められているのです。それは「物のあわれを知る」心を磨くことでもあるのです。

 (作者 注意書き)原文は原則として新字体・現代かなづかいに改め、読みやすくするために、適宜、ふりがなや句読点をつけるとともに、かなを漢字にするなどの調整をしました。和歌・俳句は、旧かなづかいのままとし、ふりがな、濁点をつけました。

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