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「芸能の底流」 土方 鉄

2013年05月19日 00時15分21秒 | 大道芸
「芸能入門・考」芸に生きる  小沢昭一・土方鉄  明石書店  1981年

 第二章 芸能の底流   土方 鉄

 その1---夢で見てさえよいとや申す

 「途中、ところどころの村の入口に立札があった。
---物乞ひ旅芸人村に入るべからず。」

 川端康成の「伊豆の踊り子」の一節である。
年譜によると、川端は1918(大正7)年、二十歳のおりに、
「秋、初めて伊豆に旅し、旅芸人と道づれになる。これをもとに後年「伊豆の踊り子」を書く。」とある。

 「大正」年間、伊豆では、「物乞ひ芸人村に入るべからず」という立札が、
村の入口に立ててあったというのは、小説の世界のことだけでなく、事実とみてまちがいなかろう。
 これはただ、伊豆地方の特別な例だろうか。
旅芸人に対する待遇が、伊豆半島だけきびしかったとは考えられない。
これは全国的なものであったろうことが推測される。

 中略

 旅芸人---つまり放浪芸や、大道芸を演じる者は、非常に軽蔑されてきた。
「伊豆の踊り子」でも、つぎのようなところがある。
「あんな者、どこで泊まるやら分かるものでございますか・・・・・(略)」
茶屋の婆さんが、主人公の問いにこう答えている。
旅芸人は「あんな者」と軽蔑的によばれていたわけだ。

 主人公もまた、こういう。
「好奇心もなく、軽蔑も含まない、彼らが旅芸人という種類の人間であることをわすれてしまったやうな、私の尋常な好意・・・・・(略)」と。
 主人公が、好奇心や軽蔑を否定しながら、
なおも「旅芸人という種類の人間であることを忘れ」なければ、「尋常な好意」が示せないというところに、
作者の意図とは別に旅芸人の位置というものが、あざやかに浮かびあがっているといえよう。

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