「立ってみなさい」 あとがき 斎藤 隆介 短編集
この、短編集「立ってみなさい」におさめた二十八編は、日教組の機関紙「教育新聞」に、八年前から毎月一つずつのせたもののうちの半分が中心です。
別の半分は、前に「ベロ出しチョンマ」という一冊にまとめて理論社から出版され、昨年度の小学館文学賞を受けました。
あれは創作だけをおさめたのですが、好意的に批評してくれた新聞や雑誌の中でも、「東北民話」を見事に再話している」なぞという批評もあって、作者としては残念でした。
そこで今度は、その時いれなかった再話もいれました。前半の「昔ばなし」というのがそれです。
昔ばなしを再話する、ということには、たいへん大切な意味があると思います。
考古学者が土の中から掘り出して研究している土器やその他の品々は、私たちの祖先の生活を教えてくれますが、いま私たちが使っている言葉や語り伝えられている昔ばなしには、私たちの先祖の日本人の生活と心が生きています。
それを知り、受けとり、子孫に伝えていくのは私たちの大切な仕事でしょう。
少し前のひと時、「民話ブーム」と呼ばれた時があったのは、私たちが、日本人の歴史と、祖先の生活を、ほんとうの働く人民の中に生きて伝えられて来たはなしの中から知ろうとしたことから始まりました。
こういう、ほんとうの民主主義から始まったものが、「ブーム」と呼ばれるようになった頃には商業主義と結んで、無責任で単調なくりかえしになり、今は「ブーム」も終わりに近づいているようです。
民話に対しては、いま残っているものを正確に記録する採集と、新しい語り手をして作家が参加する再話との二つの方法があると思います。
木下順二さんが言っておられるように、「再話」は「再創造」でなくてはならないでしょう。
語り伝えられてきた民話と自分とが重なり合い、それを通過するのでなくてはならないでしょう。
今日まで語り伝えられて来た民話も、こうして次々の語り手に依って徐々に変わって来たものです。そして語り手の命の露でふくらんだものだけが時間のふるいにかけられて残って来ました。
私も、新しい語り手として民話の再話に参加したものが前半の「昔ばなし」です。私の真紅の命の露でふくらんでいなければそれは消えてしまうでしょう。消えるか残るかは、皆さんがお読みになって下されば分かることです。
さてしかし、再話を続けているうちに、どうしてももどかしいものが心に動いて来るのを感じました。
そこで民話という民族的な形を借りて自分の心にいま一番問題になっていることを書いてみたのが後半の「新しい話」の数篇です。
そして更に、「新しい話」の中には、民話の形を借りないで自由に書いたものもあります。もう民話の形をとらない方が、一層よく自分の言いたいことが言える、と思ったものです。その作品の中では、「たたかう人びとを描かねばならぬ」ということが私の中心課題でした。
私は今まで一貫して「献身」というテーマを追求して来ました。マイホーム主義ではマイホームを守れないのは明白です。逆に、何千万の仲間のために命を捨ててもたたかう道をゆくことにこそほんとうの幸せはあると思うのです。「マイホーム主義」と「よい子教育」のどぶ泥を浴びせられている少年少女たちの心に、一段高い、そして真実の幸せへのあかりがともることを祈って、新しい話は書かれました。
来年は七十年安保の年です。「でえだらぼう」の様にスックと立ち上がり、たたかう事に依って自分の背丈を伸ばし、国の中の天狗を追い出して国境でズンガと突っ立とうではありませんか。
1969年10月 斎藤 隆介
この、短編集「立ってみなさい」におさめた二十八編は、日教組の機関紙「教育新聞」に、八年前から毎月一つずつのせたもののうちの半分が中心です。
別の半分は、前に「ベロ出しチョンマ」という一冊にまとめて理論社から出版され、昨年度の小学館文学賞を受けました。
あれは創作だけをおさめたのですが、好意的に批評してくれた新聞や雑誌の中でも、「東北民話」を見事に再話している」なぞという批評もあって、作者としては残念でした。
そこで今度は、その時いれなかった再話もいれました。前半の「昔ばなし」というのがそれです。
昔ばなしを再話する、ということには、たいへん大切な意味があると思います。
考古学者が土の中から掘り出して研究している土器やその他の品々は、私たちの祖先の生活を教えてくれますが、いま私たちが使っている言葉や語り伝えられている昔ばなしには、私たちの先祖の日本人の生活と心が生きています。
それを知り、受けとり、子孫に伝えていくのは私たちの大切な仕事でしょう。
少し前のひと時、「民話ブーム」と呼ばれた時があったのは、私たちが、日本人の歴史と、祖先の生活を、ほんとうの働く人民の中に生きて伝えられて来たはなしの中から知ろうとしたことから始まりました。
こういう、ほんとうの民主主義から始まったものが、「ブーム」と呼ばれるようになった頃には商業主義と結んで、無責任で単調なくりかえしになり、今は「ブーム」も終わりに近づいているようです。
民話に対しては、いま残っているものを正確に記録する採集と、新しい語り手をして作家が参加する再話との二つの方法があると思います。
木下順二さんが言っておられるように、「再話」は「再創造」でなくてはならないでしょう。
語り伝えられてきた民話と自分とが重なり合い、それを通過するのでなくてはならないでしょう。
今日まで語り伝えられて来た民話も、こうして次々の語り手に依って徐々に変わって来たものです。そして語り手の命の露でふくらんだものだけが時間のふるいにかけられて残って来ました。
私も、新しい語り手として民話の再話に参加したものが前半の「昔ばなし」です。私の真紅の命の露でふくらんでいなければそれは消えてしまうでしょう。消えるか残るかは、皆さんがお読みになって下されば分かることです。
さてしかし、再話を続けているうちに、どうしてももどかしいものが心に動いて来るのを感じました。
そこで民話という民族的な形を借りて自分の心にいま一番問題になっていることを書いてみたのが後半の「新しい話」の数篇です。
そして更に、「新しい話」の中には、民話の形を借りないで自由に書いたものもあります。もう民話の形をとらない方が、一層よく自分の言いたいことが言える、と思ったものです。その作品の中では、「たたかう人びとを描かねばならぬ」ということが私の中心課題でした。
私は今まで一貫して「献身」というテーマを追求して来ました。マイホーム主義ではマイホームを守れないのは明白です。逆に、何千万の仲間のために命を捨ててもたたかう道をゆくことにこそほんとうの幸せはあると思うのです。「マイホーム主義」と「よい子教育」のどぶ泥を浴びせられている少年少女たちの心に、一段高い、そして真実の幸せへのあかりがともることを祈って、新しい話は書かれました。
来年は七十年安保の年です。「でえだらぼう」の様にスックと立ち上がり、たたかう事に依って自分の背丈を伸ばし、国の中の天狗を追い出して国境でズンガと突っ立とうではありませんか。
1969年10月 斎藤 隆介