民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

語り手のわたしと聞き手のあなたが
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「現代に生きる民話」  大川 悦生

2012年10月21日 00時09分48秒 | 民話(語り)について
 「現代に生きる民話」 大川 悦生 P-62「手っきり姉さま」 能田 多代子 1958年 青森県五戸

 昔話の語られるのは、どんな時が多いかというと、寒い日の4,5人の子供達のつどいに、火を囲んで家の年寄りが語ってくれることが常ではあるが、家の赤ん坊がようやく足が立ってヨチヨチ歩くようになり、手足が氷のように冷たくなったりすれば、祖母や姉達が抱えて炉の辺りに座り、焚き火で温めてやったり、炬燵の中に入って、さあさあ むかし教えるからとか、桃太郎のむかしとか 言って、昔話に気をまぎらかして、「むかしァ、あったじォんなァ」と語りだせば、「はァ」と相槌を打つことを覚えさせ、それから甘い桃が川から流れてくるのに興味をそそり、次に「うまい桃こァ、こっちゃァ来い」と歌ってやり、「大けィ桃こだ、うまそな桃こだ」と、子らの注意を引くようにして、温めながら語ってやる。

 後には 子らも次々に文句を覚え、その中に 自分から歌ったり、手を振ったりして、桃を招く動作をするようになるのであった。

 桃が川を流れてくる時の掛け声は言葉ではなく、おもしろいわらべ歌で、また手を上げて、桃を招くさまは、物まねで踊りといってもよいかもしれない。

 まず、いわゆる五大おとぎ話の類が、幼児に聞かせる話になっているのだが、単純化された物語のうちに、
幼児が自然になじんでいけるような道具だてと、表現とが、みごとに織り込まれていること。

「桃こがつんぶらつんぶら」とか、「じゃくっと割れて」とか、「ほほげァほほげァ」といった擬音や擬声音、また調子よく歌って聞かせる「うまい桃こァ、こっちゃァ来い」のわらべ歌、それに身振り手振りまで加わる。

 こうしたものがあってこそ、冷えたこの体へ 親の体温が伝わって暖めていくように、昔話は伝えられたのであろう。

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