民話 語り手と聞き手が紡ぎあげる世界

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「エキストラ」 マイ・エッセイ 3

2013年10月08日 00時14分23秒 | マイ・エッセイ&碧鈴
   エキストラ
                       

 シルバー大学を卒業して、この十月で、ちょうど一年になる。
 八月の初め、シルバー大学、最大の行事である学校祭を見に、駒生町の教育会館まで行ってきた。一年前、私はここで、民話語り部、太極拳、アフリカンダンスと、三つのクラブで出演した。クラブの後輩たちがどんな演技をするか、気になっていたのだ。
 懸命に演技する後輩たちを、去年の自分とダブらせて感慨深く見入っていた。
 ロビーで、見たことのある卒業生たちが話をしていた。
「なんだ、その格好は? お前も応援に来たのか」
「いやぁ、人数が足りないからって、頼まれちゃってな」
 部員が少ないクラブではエキストラを頼むことが多い。エキストラとは部員だけでは人数が少なくて格好がつかないとき、他に応援を頼んで来てもらう人のことである。 

 エキストラでは苦い思い出がある。
 もう四十年以上も前のこと、東京の大学に入った私は、音楽が好きだったので、オーケストラ部に入った。と、言えば、聞こえがいい。本当はクラスで一緒になった女性に恋をして、その彼女がオーケストラ部に入っていたからだ。
 彼女はチェロ、私は一番近くにいるコントラバスを選んだ。コントラバスは部長ひとりしかいなくて、私が入って二人だった。
 夏休み、志賀高原での合宿、夜、外に出て、大の字になって眺めた星空は、今でも忘れない。
 夏休みが終わって、定期演奏会の話を聞いた。オーケストラ部は創立してまだ日が浅く愛好会だったが、クラブに昇格するためには、演奏会をやるなど、実績が必要だと言う。そして、交響楽をやるには部員の倍以上のエキストラが必要だった。私はエキストラなしでやりたいと、ひとり主張した。だが、多勢に無勢、受け入れられず、私はオーケストラ部をやめた。
 定期演奏会、聴きに行った。交響楽では、コントラバスは八人で演奏する。私がやめてひとりになったコントラバスには七人のエキストラがいた。曲はベートベンの運命、ジャジャジャジャーーーン。私の中でなにかがくずれた。
 
 学校祭のあと、エキストラが多いことが問題になったらしい。そんな中で、部員が少なくて廃部に追い込まれそうなのに、断固としてエキストラを拒否したクラブがあったと聞いた。
「えらい!」私はそのクラブの部長を抱きしめたい思いにかられた。

 えっ? チェロの彼女とはどうなったかって? ・・・それはヒ・ミ・ツ。  

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